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立ち読みコーナー
ジャワ獄中記
佐藤源治 / 菊池日出海 編
まえがき

 この『ジャワ獄中記』は、昭和二十三年五月、オランダによるバタビヤ臨時軍法会議裁判で戦犯の罪で死刑を宣告され、同年九月二十二日、ジャカルタ市内のグルドック刑務所で銃殺刑に処せられた元スラバヤ憲兵隊曹長、佐藤順治の遺稿を整理、抜粋したものである。草稿が書かれた時期は、二十一年十一月二十一日、源治が同じジャカルタのチピナン刑務所に収容されてからだが、大半は裁判で死刑が確定したのちのものである。原本は現在、家宝として残されているが、旧陸軍の軍用罫紙に書かれた大学ノート大の「獄中記 独房独想」、「獄中記」、巻煙草の巻紙に書き込まれ、同郷の人々にささぐと副題のある「春木」が主なもので、それらすべてを四百字詰め原稿用紙に書き直すと、八百枚近くになる。本文をご覧になればおわかりいただけようが、書かれた形式は、擬古文を含む散文、詩、短歌、絶句、俳句、書簡と多彩であり、内容も、時評から政治、経済、哲学、宗教、文学、そして自伝的要素を含んだものまで多岐にわたっている。
 源治は私の妻の弟にあたる。源治が出征してからの結婚であったので、私は生前の源治の直接会う機会はなかった。戦争直後の混乱した状況のなかで、詳しい事情はわからぬまま、戦争犯罪人、それも死刑という極刑の知らせが届いてからの父母の嘆きはあまりにも深く、痛々しくて義兄として見るに忍びないものがあった。ただ一人残された跡継ぎの死と、それも犯罪人という二重の苦しみだったからである。「戦死ならばなんの憂うることもなけれども」とさえ書簡のなかで書き残している。
 その老いた父母を少しでも慰めようと、昭和二十三年夏、死刑が確定してからではあったが、源治の減刑のために助命歎願書の署名集めに奔走したことを思い出す。不幸にして助命歎願は却下されたが、後になって遺稿が奇蹟的に留守宅に届いた。鉛筆書きで判読不明な点もあり、年代が前後していたり、ジャンルがばらばらだったり、公にされることを目的とした草稿ではないので整理されておらず、意味のとおりにくいところも多かったけれど、少しずつ読みすすむうちに、源治のおかれていた状況がしだいに明らかになっていた。そして源治の七回忌と十三回忌に私家版の小冊子「またはり草」を刊行して源治の霊前に献げた。昭和二十九年と三十五年のことである。これは源治の供養のためではもちろんあったが、精神的に塞ぎ込んでいた両親を慰める意味でもあったのである。
 この出版は、当時、私の予測した以上の反響を呼び、源治と親交のあった多くの人びと、郷土の関係者だけでなく、各方面の方々から多大な賛辞をいただくことができた。そのなかから一つだけ吉田光覚氏(英霊顕彰運動本部主宰)の和讃をご紹介しよう。

 人の
 生をうくるは
 かたく
 やがて
 死すべき者の
 いま
 生命あるは
 ありがたし
常に
わが身に教えを
わが家に教えを
わが日の本に
ただしき教えを
そして
二度と戦いのない
平和な浄土を

 私が遺稿を通読して感じることは、どの篇、どの詩、どの句にも源治の心血が注がれており、源治の生命が宿っていることであった。「魂は永遠に滅びず」という実感であった。身に覚えのない戦争犯罪人、それも死刑囚という烙印を捺され、辞書も参考書もない独房の暗がりのもとでの筆硯の営みであることを思うと、手記に自分の全存在、この世に生きた証しを書きとめずにはいられなかった源治のすさまじいばかりの生命のほとばしりを感ぜずにはいられない。理不尽で不当な裁判にたいする怒り、無念、絶望の深さが推しはかれるだけでなく、書くことによって自らの気持ちを奮い起こし、立ち直ろうとする源治の硬質な精神を垣間見る思いがする。
 限りある生を生きるとは、よりよく生きるとはどういうことか、死とは何かという人間の根源にかかわる課題に鋭く迫っているこの遺稿集は、戦後四十年を経て、暖衣飽食し、ややもすれば弛緩に陥りがちなわれわれの生き方に一つの警鐘を与えてくれるもののようにも思う。
 いま、菊池日出海氏のご尽力により源治の遺稿の全容が立派な単行本として上梓されることになった。これによって「真相は必ず将来、天下に公表される」と希求してやまなかった亡き源治の魂も慰められることと思う。その間、じつに三十七星霜! 菊池氏をはじめ、本を作るうえでお世話になった関係各位に、末筆ながら篤く篤く感謝を捧げるしだいである。
遺族を代表して   菅原実


佐藤源治
大正六年、岩手県生まれ。昭和十年、岩手県立水沢農学校卒業。十二年、現役志願兵として満州独立守備歩兵第十八大隊第二中隊に入隊。十三年、新京の関東軍憲兵隊教習隊入隊。のち大連憲兵文体、第三野戦憲兵隊をへて、十七年、第十六軍憲兵隊スラバヤ憲兵分隊特高班勤務。戦後、昭和二十年十一月、トロアゴン刑務所に収容。二十一年六月、チャンギー刑務所に移されたのち、十一月、ジャカルタのチピナン刑務所に収容。二十三年、オランダによる軍事裁判にかけられ、五月、死刑判決。同年九月二十二日、グルドック刑務所で銃殺。戒名、殉国南西院義観源司居士。

編者:菊池日出海
昭和四年、東京生れ。電電公社に十八年間勤務し、四十六年、退職。以後、郷土史関係のしごとに従事。