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立ち読みコーナー
潜水艦伊16号通信兵の日記
石川幸太郎
運命の魔の手が迎えに来るその日まで

十一月三日 火曜日 明治節

 ちょうど当直の〇〇三〇〔午前零時三十分〕頃、空襲ありたり。初めて経験することなれど、潜水艦にてはなかなか実際の光景を見ることはできない。総員潜航配置について、沈座用意をなし、上甲板に上がれないからだ。〇〇三〇−〇〇四〇〔午前三時−午前四時〕頃まで、二回来襲があったけれども、ついに爆弾らしき音も聞かずにしまった。
 腹の具合がとても悪い。未だに下る。食事も今朝ちょっと食べてみたが、すぐ痛くなるようなので、昼食を抜きにする。明日出撃までによくならないと、出港後は長時間潜航中、大便にゆけないので一番困るのだ。当直も相当きついが、できるだけ我慢してやっている……。
 航海中は、積極的にこれといった勉強の方法も修養の方法も見当たらないので、手当り次第に、文庫の本を読み、それが小説であろうと、書籍であろうとおかまいなく、一行動に百冊以上読むことに誓ったのだが、いざ種々なる本を読み終って、さてあとで考えてみると、まことに小説のごときは馬鹿らしいのが多く、よくこれでも小説として発行を許可されたなあと思うのや、読んでみて、さて考えてみるに、その後になんにも残っていないのや、まれに竹田敏彦、菊池寛あたりの書いたものでも通俗的な恋愛物で、筋なんかも今までに読んだものに似たりよったりするものがあるのでウンザリする。
 自分は、普通、なんだかんだと一年に平均三百六十五冊の本は読んでいる(これは小さいとき、姉からお前はせめて学校へ行けない代り、手当り次第本を読んで、たとえそれがなんであってもよいから、常識を豊富にしなさいと言われたのがクセになったのらしい)。だから自分の好き嫌いにもよるが、この頃はどうも小説もあまり好きでなくなった。でもやっぱり航海中読む本がなくなると、必然的に読むようになる、一日に三、四冊も読んでしまうようなときは、きっとあとから頭がボンヤリして馬鹿らしくなってくる。
 佐々木邦のユーモア物は、あれでなかなか教わるところは多いのだが、これも年がら年中、似たりよったりの筋だ。ただそれでもなお読むものをして飽かしめないところが魅力なのだろう。一昨日から特別攻撃隊『軍神の面影』、黒潮会員の福湯豊という人の書いたものだが、『軍神を生んだ母』(清閑寺健著)と内容はやや同じだけれども、何回読んでも深い感動がいつまでも胸をとらえてはなさない。今までにない清新な感激を呼び起こすのである。読み終わってから「ホッ」とする。感激に興奮するのだろう。いつまでもその内容を思い浮かべるのである。
 この本こそ、きっと将来の帝国維新の場合に起つべき人物を養成する原動力となることを確信する。それ、明治維新における、『日本外史』、『大日本史』のごとくに。
 人間も感激の連続がなくては成功することもできないことと思う。昔から何かの調子に発奮して偉くなった人間は、必ずや偉大なる感激を覚えるとともに、さらにそれを何かの形において巧みに持続させることに努力したに違いない。われわれのような凡人にてさえも、ヒットラー伝、ムッソリーニ伝、野口英世、西郷、南郷、東郷等の伝記小説を読むたびに大いに興奮し、感激し、これらの人々の当時の発奮にも負けないような気持になるものだが、さて半日たち、一日過ぎると、霞のごとく消えさって、跡形もなくなってしまう。意志が弱いのか、なんなのか?
 毎日毎日、偉人の伝奇小説でも片手にもってやっていったら、上手に感奮状態を連続させることができるだろうか?

十一月四日 水曜日

 昨夜はとうとう夜間空襲はなかったので、ゆっくり眠れた。午前八時、千代田に横付して特殊潜航艇を積む。第三回目の搭載。今度の艇長は中尉の八巻〔悌二〕という人だ。整備のほうは出羽兵曹が来た。
 何事も三度ということがあるから、必ずや今度こそ成功して、無事に帰って来ることと思う。
 目的地はガダルカナル島のルンガ泊地。敵は重巡三隻、駆逐艦一〇数隻、輸送船若干との情報が夕べ来ておったが、戦艦は空母がいるとすれば、さらに戦果があがるのだが、果してうまく入港してくれるかどうか。出羽兵曹、三度本館に搭整員として乗艦する。ハワイ海戦依頼だから、よほど縁が深いと言わねばなるまい。

十一月五日 木曜日 昼間潜航

 去月二十六日に行われたソロモン方面における海戦の大本営発表の新聞電報が出羽兵曹によって千代田からもたらされた(新ニュースのため潜航中受信漏れ)。それによると航空母艦四隻、戦艦一隻、艦型未詳一隻撃沈。飛行機二〇〇機以上、撃墜破となっている。艦型未詳艦は、当時長官より大本営宛の報告では、戦艦二隻轟沈と報告せるうちの一隻ならん。
 戦艦一隻中破、空母一隻中破もあり。なおそのほかに八月二十五日の第二次ソロモン海戦以後、今次南太平洋海戦直前に至るまでの各地域における総合効果も発表されており、空母、戦艦、甲巡、軽巡、駆潜各種四十数隻撃沈破、飛行機七百余機撃破となっている。
 現在自分が読みかけつつある第一次世界大戦史『一万五千海里』というドイツ東亜艦隊と、当時の南洋方面の状況を書いた本の中にある、コロネル海戦、フォークランド海戦などありて、大々的に取り扱っているが、前者はフォンシュぺー独提督が、英巡二隻撃沈、後者は反対に連合国海軍によりて、巡洋艦四隻撃沈、〔フォン〕シュぺー伯も運命を共にした海戦であるが、今次大東亜戦争以来というものは、当時の海戦のどれと比較すべくもないほどの大戦果の連続であって、実に想像以上の大規模のものである。ただ、航空機と無線の発達によるためか、当時のエムデン号のような冒険的活躍こそ自然にできない状態になっていて、いざというときは、空水中の一帯となってやる立体戦なのだ……。
 なお、わが方の損害も、月日とともに小なりといえど重なっていく。加古・古鷹・三隈、最近、またまた伊二二潜の沈没説があり。いよいよわれらの番の近づいたことを思わせる。緊張、緊張。

 これにて、ハワイ海戦依頼の陣中日誌、一冊目を終る。読み返す気もない。幾度か決死行の中にありて、気の向いたときに書き綴ったもの。そしてわれ死なばもろともにこの世から没する運命にある。しかし、第二冊目を書き続けてゆかねばならない。運命の魔の手が、太平洋の海底に迎えに来るその日まで。


石川幸太郎
大正6(一九一七)年、宮城県生まれ。昭和6年、石森町尋常小学校高等科卒業。9年、海軍通信学校(第三十八期普通科電信術練習生)。14年、海軍通信学校(高練)卒業(第六十期高等科電信術練習生)。16年2月、伊一六潜に配属。11月17日より陣中日誌を書き始める。ハワイ真珠湾攻撃、マダガスカル島攻撃、インド洋通商破壊作戦、南太平洋ソロモン海戦に参戦。19年5月19日、ソロモン諸島北西海面で伊一六潜と運命を共にした。