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立ち読みコーナー
お笑い芸人就職読本
増田晶文 / ぽん竜太 漫画
25 テレビの笑いとは?

1755万人を笑わせる。チャンネルを変えさせない瞬発力のある笑いが何より求められる。

漫画 小泉首相と僕 テレビの午後7時から11時のプライムタイムにおける視聴率1%は、全国で117万人、関東地区は37万人、近畿地区なら19万人の視聴者に換算されるという。
 お笑いバラエティ番組は15%の視聴率を稼げば合格ラインだから、1755万人の視線を見込んでいることになる。残念ながら新聞やマンガ雑誌をふくむ活字メディアで、ここまで部数のある媒体はない。私も作家のはしくれであるからにして、何冊か単行本を出している。全部ひっくるめた部数は――やめとこ、哀しゅうなる。しかも日本人の平均テレビ視聴時間は5時間で、アッパレ世界一なのだという。やれやれ……。
 お笑いは、これだけ絶大なパワーを持つメディアから視聴率を稼げる素材として認められている。しかし演じる側は、舞台とは違うテレビ特有の論理を承知しておかねばならない。日本テレビで『エンタの神様』や『笑点』といったお笑い番組の制作にかかわる鈴木雅人プロデューサーはいった。
「ライブで200人を笑わせるのと、1755万人を笑わせることは違うんです。その差や違いを理解できないとテレビで成功できません。視聴者はとてもシビアで、ちょっとでもおもしろくないと感じたら、さっさとチャンネルを変えます。出演者は次々に笑いを誘う瞬発力を持たなければいけません」
 たしかに、速いペースで次々とボケとツッコミを展開させ、ギャグを炸裂させる方法は、視聴者にチャンネルを変えさせない有効打になろう。カウス・ボタンも若手時代はこの系統の高速漫才だった。彼らの急行急速急調漫才に食いついたのは女子大生だった。ギャル(!)が劇場を取りかこみ、カウス・ボタンは“元祖アイドル漫才師”の評判をとった(なんとなくキングコングとイメージがダブる。)だが、その方法がベストかというと――カウスは「漫才の腕がないので、ああいうスタイルにならざるをえなかった。すぐに飽きられるのは承知していた」と話している。そういえば、歴代にM−1優勝者をふりかえると目立った快速派はいない。アンタッチャブルにやや早弾きの傾向があるけれど、ゆっくりとした間を必ず確保している。中川家フットボールアワーも、ゆったり型を強く意識しているフシがある。超高速&ギャグ連発でなくても、ボケとツッコミのリズムが心地よければ視聴者もチャンネルを変えることはないはずだ。会話が途切れて沈黙が訪れても、テレビには映像がある。表情やふるまいで笑いを演出すればいい。瞬発力が大切なのはよく分かるが、充分に筋肉を縮めなければ、勢いよく大きな力を発揮することはできない。
 テレビのお笑い番組に対する批判は、15分のネタを3分でやらせる、編集で無残にカットしてしまう、実力よりもキャラクターを優先させる――など数多い。しかし鈴木プロデューサーは、こう反論した。
「テレビが求める笑いは分かりやすさが何よりも大事です。そういう意味でキャラクターはハッキリしているほうがいいんです」
 なるほど、現在テレビで活躍している若手お笑い芸人は、ギャグやキメぜりふ、コスチュームなどいろんな面でキャラが立っている。“あるある探検隊”で人気が出たレギュラーはそのよいサンプルになろう。
 レギュラーが本拠地にしているbaseよしもとで、彼らは笑い飯麒麟千鳥の3本柱に次ぐ存在の、15組からなるビーイチ組に位置している(トップ3以外は安泰ではなく、ビーイチ組にいても、ちょっと油断しているとビーニ組、ビーサン組に降格される危険性がつねにつきまとう)。だが全国ネット出演回数ではトップ組を凌駕しているはずだ。理由は簡単で、レギュラーは“あるある探検隊”という飛び道具を持っているのに、笑い飯や麒麟たちにはそれがない。
 先日、ルミネでレギュラーを見た。客席は彼らの姿を見ただけでワーワー、キャーキャーえらい騒ぎだった。これぞ、テレビの力だ。レギュラーの心境は複雑だろう。いつも同じことを要求され、本人にしたら「またかいな」だが、テレビ局は「君たちあれだけやっときゃいい」のはずだ。彼らは客の要望を見越してか、ルミネでも“あるある探検隊”を披露していた。でも、テレビとは違うフリ(ネタへの伏線)や、くすぐり(ホンネタやギャグへ持っていくための小さなボケやギャグ)を配していたのには感心した。毎度お馴染みのネタでも、工夫を加える姿勢は立派だし、彼らにも芸人の意地があるのだろう。
 鈴木プロデューサーは、テレビがオチやストーリーにも介入するし、編集やカットもどんどんしていくことについても話してくれた。
「オチが弱いとテレビ向きの“商品”にはなりません。とくにシュールネタはオチが分かりにくいので、オチのつけ方にまで介入する場合があります。また、テレビはアップテンポの展開を求めますから、ダレている部分は編集でどんどんカットします」
 テレビではそこそこ笑えるのに、舞台で見るとまったく不発という芸人もいる。これはテレビが不要な部分を切り取り“おいしい”ところだけを見せてくれているからだ。プロデューサーやディレクターの腕は、そういうセンスが冴えるかどうかで判断できよう。人力舎の玉川社長も「テレビの仕事といえば、カットと編集なんだから、そこのところはプロとして信頼し、任せている」と笑っていた。
 200人の客なら顔を見ることはできるが、1755万人となれば顔など無いのに等しい。顔の無い客に向かって何を打ち出すか――テレビは、キャラがあって、子どもにも受けるベタ(シンプルで理解しやすい)なギャグや必殺パターンを持っているという対処法を編み出した。だけど、それらを押さえているだけでは、テレビの常連にはなれてもスターになれない。テレビを制するにはテレビ芸を極めなければいけないのだ。


増田晶文
作家。1960年、大阪出身。同志社大学法学部卒。数年間にわたって「笑い」の現場の表方・裏方への取材を精力的に続けている。本書は、「お笑いブーム」と呼ばれる現状の中、変容と恒常の間でせめぎあう斯界の動向を見つめる一方で、いわゆる「堅気」や「一般人」とは違う世界に棲む「芸人」たちへの憧憬を軸にして書き進められた。文藝春秋Numberスポーツノンフィクション新人賞、小学館ノンフィクション大賞優秀賞受賞。著書に『果てなき渇望』『うまい日本酒はどこにある?』(以上草思社)『速すぎたランナー』(小学館)『大学は学生に何ができるか』(プレジデント社)『筋肉おやじとアブラミくん』(しりあがり寿との共著、マガジンハウス)ほか。

漫画:ぽん竜太
漫画家。名前に違わぬ脱力感と鋭い人間観察眼で、不条理かつ「まあええか」的人間模様を描く。代表作『ポンズ百景』(1)(2)(モーニングKC/講談社)