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話題の本

歴史家・鳥居民、自著を語る
2005年7月22日

鳥居民氏
鳥居民氏

──この本から私たちが汲み取るべき教訓は何でしょうか。

 まあ、いくつかありますよ。
 無警告の原爆投下に反対をし、天皇の地位の保持を約束をする。まず警告を発し、それでも降伏をしないなら原爆を投下する。こういうことをスティムソンが言い、グルーが言う。フォレスタルも無警告で投下をするのはやめようと言った。こういう人たちはみな日本に縁があった。
 スティムソンは若いときからアメリカ政府の重鎮で、昭和初年にはフィリピンの総督だったんですが、日本に何度か来ている。日本のその時代の総理大臣の名前がすらすら口から出てきます。こんな人はアメリカ人では珍しいんですよ。戦後は飛行機でアメリカの要人が日本に来るなんていうのは、珍しくも何ともないけど、戦前、国務長官クラスのアメリカ人が日本に二度、三度来たなんて、こんなことはあり得ないことだったのです。
 海軍長官のフォレスタルは日本に直接の関係はないんですけど、彼の部下が日本にいた情報将校で、ワシントン会議のときに日本側がどういう要求を出すことになるのだろうかと、日本の軍令部、海軍省の若い連中と新橋で飲んでいる。日本語が非常に達者な、こんな男がフォレスタルの部下にいて、フォレスタルも日本のことに詳しい。
 グルーは日本に十年いましたから、彼が一番日本のことには詳しい。日本人の考えてすることが分かりますから、いきなり都市の十万人、二十万人を殺すような爆弾を無警告で落とすなんて、そういうことはとてもしたくない。
 ところがバーンズとトルーマンは、二人とも上院議員の出身で、ほとんど外国のことは知らないわけです。今の上院議員はそんなことはありませんけどね。世界中を飛行機で回っていて。ところが一九三〇年代、四〇年代の議員なんていうのは、国内のことだけで、日本のことなんかに何の関心もない、知識もない。だから、この二人が原爆投下に賛成だった。原爆投下に賛成どころか、原爆投下の推進者だったわけです。
 これから読み取る教訓は、いたって月並みなことになるかもしれないけど、外国の理解を深め、いつも外国の首脳と接触を続けていくということが大事だということ。

──そして、やはり日本の研究者がきちんと研究すべきということですね。

 ええ。例えばグルーのことがその代表だと思うんです。  一九四四年五月にグルーが日本担当の国務省の幹部になる。四四年の十一月には国務次官になる。日本担当になったとき、彼は『滞日十年』という本を出すんです。一体全体、彼が日本担当になったときになぜこの本をわざわざ出したのか。当然目的があるでしょうね。アメリカ人に、日本はどういう国なのかということを教えるためでしょう。ただ、残虐、残酷な国じゃないんだと教える。そしてまた、この戦争を仕掛けたのは陸軍過激派であって、宮廷も重臣たちも戦争には反対だった。そういう具合に色分けして、陸軍に責任を負わせて和平に持っていくしかないと日本に向けて示唆している。事実、戦後はそうなったんですけどね、東京裁判を見ても海軍の中で死刑になった人は一人もいない、陸軍だけでしょう。
 近衛と吉田はグルーの意図が分かったから、陸軍の最高幹部を代えて、支那事変と大東亜戦争、対米戦争に関係のない者を持ってこようとした。二・二六のときに責任をとって退いた皇道派の人間であるならば、支那事変にも関係ない、対米戦争にも関係ないわけです。こうやって陸軍を代えてしまったら、戦争が終結できると二人は考えた。これはまさに『滞日十年』とつながっているんです。戦後六十年間でこういうことを言った人が一人もいない。『滞日十年』はただの回顧録だというぐらいでね。
 ルーズベルト大統領がなぜグルーを日本担当にしたのかもきちんと解釈されていない。ルーズベルトは無条件降伏論者であると頭から決め込んでしまって、そのルーズベルトが有条件降伏のグルーを持ってくるはずがない。グルーが有条件降伏を言いませんと言ったから使ったんだとなる。無条件降伏は、目的じゃなくて手段でしょう? 有条件降伏を言っておいて占領してしまったら、無条件降伏と同じにすればいいんだ、ぐらいのことはルーズベルトは考えています。かれは名うてのマキャベリストですからね。何かの拍子に無条件降伏と言ってしまったことを金科玉条にして、最後まで無条件降伏主義者だったと思い込み、そこから解釈する。ルーズベルトは何でグルーを起用したのかを説明する機会があったかもしれないけど、その前に亡くなりました。グルー自身も肝心要のこのことについては、死ぬまで一言も言わなかった。なぜグルーを起用したのか、僕の解釈はこのあとで言いましょう。

──鳥居さんの前著『「反日」で生きのびる中国』では、一九九五年から始まった江沢民前国家主席の愛国主義教育キャンペーンが、じつは反日キャンペーンだったとして、その狙いを明らかにしたうえで、若者たちに刷り込まれた反日憎悪の感情が必ずや爆発するときがくるといち早く予見されました。反日デモその他を見れば、鳥居さんの予測がいかに正確なものであったかが分かります。その後はみなさんが、愛国主義教育と反日デモを結びつけて語るようになっていますが、私たちには一見、バラバラに見える手がかりをつなげていって、真相を明らかにする手法は鳥居さんの真骨頂だと思います。この本では、原爆投下について論じるにあたって、日本軍の一号作戦から始められていますね。

 原爆と関係があるんです。一号作戦も戦後六十年、まったく問題にされたことがない。昭和十九年の初めにギルバート諸島、その後にマーシャル群島があっという間に落ちてしまいます。子供だった我々でも、日本とアメリカの艦隊がマーシャル群島で戦って、そこで日本が勝って勝敗が決まるんだと思っていたんです。ところがマーシャル群島が二カ月足らずのあいだに落ちた。相手側には何の損害もない。子供心に「えーっ」と思ったぐらいですから、陸軍の幹部は「海軍は何をやっているんだ」となる。これを国民にどう説明すればいいのか。どこかで勝たなければならないということになる。勝つといったら中国戦線しかない。中国戦線だったら、どこどこを陥落させましたと言える。国民を勇気づけることができるんじゃないか。士気を高めるにはどこかで勝ち戦が必要です。
 一号作戦は大陸打通の作戦で、満州、朝鮮からシンガポール、マレー半島、インドシナまで、北から南まで一五〇〇キロを陸でつなげる。それともう一つ、B29の基地を制圧しようという二つの目標でやったんだけど、本当はそんなことはできるはずがないんです。桂林のB29の基地は壊滅したけど、アメリカはさらに奥地に基地をつくる。アメリカの飛行機が線路の上の機関車を一つずつを狙っていけば、大陸の南北を結ぶ鉄道計画なんかたちまちおじゃんになりますからね。
 しかし、この一号作戦は思いがけない結果をもたらします。この作戦で、あっというまに河南省の国民政府軍四十万が霧散していなくなりました。ルーズベルトは重慶にいるアメリカ軍代表のスティルウェルから、今度日本軍が大攻撃を始めたら国民政府がつぶれますよと言われていた。それを聞いてから、わずか半年足らずのあとに日本軍が河南省を攻めだしたら、蒋介石の一の子分が指揮する河南省の軍隊があっというまにつぶれちゃったんです。
 ルーズベルトはそれを聞いたときに、これはスティルウェルの言う通りだ、大変なことだと思った。そのころは、日本との戦争はドイツの降伏から一年半は続くと言われていたんです。日本との戦いが長引けば長引くほど、国民政府の力が落ち、共産勢力の力が上がる。日本との戦争が終われば、間違いなく国共内戦になる。国共内戦になったら、ルーズベルトが抱いていた夢、つまり中国を大国化して戦後世界の四大国の一つにするという夢が裏切られる。ソ連は延安を助け、アメリカとソ連との仲も悪くなる。これはどうしても、日本との戦争を早く終わらせなければならない。天皇の問題で多少の譲歩をしてでも日本を一日でも早く降伏させたい。それでグルーを起用したんです。それもこれも、この一号作戦が始まって蒋介石の力が弱まったことが原因です。
 そこでスティルウェルが部下を中国共産党の本拠地・延安に派遣したいと言ったとき、蒋介石は嫌だと言えなくなった。結局、部下だけでなく新聞記者も延安に行った。この連中は延安を褒めて国民政府をけなします。国民政府を援助してもだめだ。延安は清潔で、その軍隊は強い。腐敗した国民政府がかなうはずがない。それを援助していたら、アメリカは将来中国と手を結べなくなる、国民政府から早く手を引けば延安が中国政府になったとき手を結ぶことができると思ったのです。  一号作戦の結果、アメリカ人が延安に行くことができて、それが正しかったか正しくなかったかは二の次にして、延安の情報をアメリカに伝えた。一号作戦は原爆との関係だけでなく、戦後の東アジアにまことに大きな影響を与えたということも書きたかったんです。

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