歴史家・鳥居民、自著を語る
2005年7月22日
── 一号作戦の結果、ルーズベルトは早く日本を降伏させたいと考えるようになったということですね。そのためには天皇問題で譲歩してもいい、天皇の地位保全がかなえば、日本は降伏するだろうとの認識があった。国際関係のダイナミックな動きが目の前に彷彿としてきます。ところが、トルーマンは直前になってポツダム宣言から「天皇の地位保全」条項を削ってしまった。これが最初にお話しいただいた「ポツダム宣言の裏」であり、トルーマンはまさに「原爆を投下するまで日本を降伏させ」まいとしたのですね。
太平洋戦史の関係では『日米開戦の謎』をお書きになっています。そしてまたライフワークと言うべき『昭和二十年』(第一期全十四巻)を一九八五年からお書きになって、十一巻まできました。先ごろ『文藝春秋・特別版』で丸谷才一さんと井上ひさしさんと鼎談されたとき、丸谷才一さんが、『昭和二十年』をギボンの『ローマ帝国衰亡史』や頼山陽の『日本外史』、あるいは『平家物語』に匹敵する作品と評されています。『昭和二十年』に対する思いをお話しいただければ。
丸谷さんと井上さんに褒めてもらったのは、本当に有難いと思うし、うれしい。一番うれしいのは、私が書いた十一巻までに出てくる人たちが喜んでくれるんじゃないかということです。例えば清沢洌ですね。清沢洌は評伝があるんですよ。中公新書で北岡伸一氏が書いて、なかなかいいものです。だけど昭和二十年に絞って清沢を書いたのは僕でしょう。こんな具合に皆さんが褒めてくださるから、清沢さんは喜んでくれると思います。
それから、丸谷さんが守山義雄の話をしています。『朝日新聞』のベルリン特派員で、五月にソ連軍がドイツから日本に送り返した人です。彼がシベリア鉄道の中で記事を書いて、『朝日新聞』に載せた。「敗戦ドイツの真相」「戦争の真理は結末にあり」という見出しがついたその記事を志賀直哉や元外務大臣の有田八郎が読み、石橋湛山が読んで、もう奇跡なんか起きないと誰もがそう思った。丸谷さんがここのところを引用してくれて、面白かったと言ってくれているんですけどね。守山義雄の私家版の文集があるんですよ。そこにもこういうことは書いていない。本当なら『朝日新聞』の社史に載せてあってもいいんですがね。だから守山義雄さんが喜んでくれると思いますよ。
それから高木八尺(やさか)も。木戸幸一の関係文書を読めば、昭和十六年十月にどうにかして戦争を回避したいということで、彼が木戸に手紙を書いていることが分かる。高木さんは結局は役に立たなかった自分の仕事を自慢するのは男らしくないと思って、そのことを語らなかった。それを僕は書いた。八尺さんも喜んでくれると思います。
それから貞明皇太后ですね。時局収拾について重臣上奏をやることになったのは、貞明皇太后が「いつまでこの戦争を続けているんだ」と言ったことから始まったんです。まあ、昭和二十年史でこういうことを書く人はいないでしょう。貞明皇太后が戦争終結になかなか大きな力を発揮したということを書いた人はいない。だから貞明皇太后も喜んでくださるんじゃないかなと。
それから、木戸幸一を更迭しようとした宮内大臣の松平恒雄と米内光政。これについては木戸が口をつぐんでいますが、しかし木戸の日記を丁寧に読むと、不思議なことがいくつも出てくる。石渡荘太郎を内務大臣にして、お前は宮内大臣になったらどうかと天皇が木戸に聞くんですね。戦後六十年、なぜ天皇がこう聞いたのか、この謎を誰ひとり解明していない。石渡荘太郎といえば、米内内閣の内閣初期長官で、松平恒雄と仲がいい。この三人は三国同盟に反対していたわけです。なるほど荘太郎がここで出てくるのは、松平恒雄がらみと分かる。米内も関係している。石渡荘太郎を内務大臣にして、戦争終結に持っていこうじゃないかと、二人は考えていた。松平恒雄や米内光政は喜びはしないでしょうが、やっとあのことが活字になったかと言うでしょうね。
そして櫻花隊を率いた野中五郎少佐、宮城県立第一高女の生徒たちの逗子での勤労動員の日々を書けたことを私は嬉しく思っています。
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