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栃木リンチ殺人事件の真実――とんでもない控訴審判決を検証する

栃木リンチ殺人事件:事件の概要

■犯行:凄惨な暴行、620万円超の強奪、殺害、遺体隠蔽

 1999年に栃木県で発覚した拉致監禁・恐喝暴行・強盗殺人・死体遺棄事件である。

 被害者は当時19歳、日産自動車社員の須藤正和さん。親元から離れて働きはじめて半年後の悲劇だった。犯人はいずれも当時19歳の藤原勝、植村隆宏、松下将樹(いずれも仮名)。後に東京の高校生D(当時16歳)が加わっていた。

 裁判で主犯と認定された藤原は、幼少時から恐喝や傷害事件の常習犯。父親は栃木県警の現職警部補だった。松下と植村はその仲間である。植村は被害者と同じ日産自動車社員だったが、たまたまロッカーが隣り合わせだったというだけの理由で被害者を標的にした。

 1999年9月29日、被害者を拉致し身柄を拘束。以後、2か月以上ものあいだ犯人たちは連日にわたって凄惨な暴行を加えながら、総額620万円以上(金利を含めないで)をサラ金や両親・友人から借りさせ強奪していた。

 連日にわたる暴行は手加減なしの殴る蹴るのほか、「熱湯コマーシャル」と称して熱湯を全身に浴びせる、噴霧剤を使って火炎を浴びせるなどが繰り返され、被害者は全身の80%に重度(三度)の熱傷を受けていた。

 11月30日、いつものように金の無心の電話を被害者にかけさせたところ、電話口に出た男が「警察だ」と名乗り、警察が動いていることを知った藤原が被害者の殺害を決意したという(刑事裁判による)。

 12月2日、宇都宮市近郊市貝町の山林で、被害者の見ている前で穴を掘り、絞殺したのちコンクリートを流し込んで遺体隠蔽をはかった後、主犯藤原は「15年逃げ切れば時効になる」と言ってビールで乾杯したという。

 12月4日、東京の自宅に戻ったDが警視庁に自首したことで事件が発覚する。翌日には警視庁が遺体を確認、藤原ら3名を相次いで逮捕した。3名とも「少年」だったため家裁に送られるが、刑事処分相当として検察庁に逆送。宇都宮地検は「殺人・死体遺棄」で起訴。2000年6月、宇都宮地裁は主犯藤原と植村に無期、松下に5〜10年の有期刑の判決を下す。藤原は控訴するが、2001年1月に棄却され刑が確定した。

■警察:両親の必死の訴えを終始拒絶しつづける

 被害者正和さんはまじめで穏やか、非常に優しい性格だったと周りの人が口を揃える。入社以来1日も休むことなく出勤していた息子が無断欠勤している、と日産から須藤さんに連絡が入る。社員寮からも失踪して行方が掴めない。時おり携帯がかかってきて、大金を振り込めという。その後ろでは怪しげな笑い声が聞こえる。息子は友人たちにも100万単位の大金を借りまくっていることがわかってきた。

 息子の身に起こった異変を察知した須藤さんは、ただちに当該署である栃木県警察石橋警察署(現在は下野警察署に名称変更された)に相談に行った。ところが担当官(生活安全課I主任)は「警察は事件にならないと動かないんだよ」と突き放し、1行のメモもとらずまったく動こうとしなかった。以後、須藤さんは当該署の石橋署に何度も足を運んで息子を捜してほしいと訴える。それでも石橋署はまったく動かない。

「金を借りているのはあんたのせがれ。悪いのはあんたのせがれだ。仲間に金を分け与えて面白おかしく遊んでいるんだろう」「麻薬でもやっているんじゃないか」

 などという侮辱的な言葉さえ投げつけてくる。須藤さんは、

「それなら麻薬の線でもいいから捜査してほしい」

 とまで訴えたが、やはり取り合わない。石橋署だけでは埒が明かぬと、宇都宮東署、宇都宮中央署、黒羽署、そして栃木県警本部にも須藤さんは捜査を懇願に行く。その回数は実に十数回にわたったという。が、警察は最後まで一貫してまったく動かなかった。

 後の調査によって、じつは須藤さんが最初に捜査依頼に来たその日のうちに、警察は主犯・藤原の名前を特定していたという。その父親は現職の県警警部補。須藤さんの訴えは「事件ではない」と徹頭徹尾つっぱねる。これはもはや「怠慢」どころの騒ぎではない。「事件にはしない」という明確な意志をもっていたとしか考えられない。

 警察の信じがたい対応はまだある。遺体が発見され事件が発覚した直後、警察発表によって被害者が「暴走族」であったと全国に一斉報道される。被害者は暴走族とはまったく無関係のまじめな会社員だった。この誤報は訂正されたのか。いまだにネット等では「暴走族同士のケンカ」などと書き込まれているのが散見される。

 事件はこれだけの闇を抱えこみながら、まったく問題視されることなく忘れ去られようとしていた。ところが翌2000年の4月、産経新聞栃木版が事件の異常性を徹底追及した15回にわたる連載記事を掲載する(三枝玄太郎記者)。雑誌がそれを追跡し、ようやく警察の問題がマスコミの間で浮上しはじめる。連日の報道に両親は自らの顔をさらして実情を訴えた。

 警察批判の世論が沸騰し、その圧力に押された栃木県警は7月、県警本部長以下、関係警察官の処分を発表、県警幹部たちはテレビカメラに向かって深々と頭を下げて謝罪した。つまり、栃木県警は自らの非をいったんは認めたのである。

 それが国賠訴訟に入ると一転する。責任なしとして、原告側と全面的に対立するのだ。

■裁判:警察の責任を問う「国賠訴訟」の困難

 刑事裁判によって主犯藤原と植村は無期懲役、松下は5〜10年の不定期刑となり、現在彼らは服役している。ただし刑事で問われた罪は「殺人・死体遺棄」のみだった。2か月にわたる暴行、総額620万円超もの被害など事件の背景については問われていない。当然ながら栃木県警の責任も一切問われなかった。被害者側が何の行動もおこさなければ、事件はこれで一件落着なのである。事件の真相は明らかにされていない。犯罪被害者に残されている唯一の道は民事訴訟しかないのだ。

 2001年4月、須藤光男さん・洋子さん夫妻は民事訴訟を起こす。被告として3人の犯人たち、その親たち(保護監督義務違反)、そして栃木県警を相手取った。このうち、栃木県警を相手取った訴訟は、普通の民事訴訟とは違って国家賠償請求法に基づく「国家賠償請求訴訟」となる。

 ハンセン病訴訟や公害訴訟など国を相手取った裁判がよく知られるが、この「栃木リンチ殺人事件」のように、警察官の怠慢や不作為などの責任を問う裁判もまた国賠裁判となる。だが、こうした国賠は「99.9%、原告が敗訴する」とも言われている。

 たとえば、本件と同様に警察の不作為の責任を問うた「桶川ストーカー殺人事件」では、「警察の捜査怠慢は認めるが、殺害との因果関係は認められない」とする最高裁判決が、昨年出されている。今回の栃木事件の控訴審判決も同じ論旨だった。警察を相手取った国賠は、ほとんどこの「因果関係はない」とする結論で終わっているのだ。国賠裁判の歴史は原告敗訴の歴史だとまで言われるほどなのだ。

 唯一の勝訴判例が、2006年に最高裁で確定した「神戸商船大学院生リンチ殺人事件」だった。暴力団による眼前の暴行を阻止できなかったとして、兵庫県警の責任を全面的に認める画期的判決である。そして、それに次ぐ2例目が、「栃木リンチ殺人事件」の一審判決だったのである。

■控訴審:画期的な一審判決を全面否定する

 2006年4月12日、宇都宮地方裁判所・柴田秀裁判長は、警察の捜査怠慢を認め、「警察官が警察権を行使しなかったことにより殺害行為を防止できなかった」と、捜査怠慢と殺害との因果関係を認めたうえで、総額約9600万円の損害賠償を命じた。まさに画期的判決、各メディアは大々的に報道し、警察に猛省を促した。

 犯人たちへの損害賠償請求も認められた。親たちについては、植村と松下の親が責任を認めて和解が成立したが、主犯藤原の両親は責任を認めず判決に持ち込まれた。その結果は棄却。保護者の責任は問えないとする判断だった。

 須藤さんはこれを不服として控訴。同時に栃木県もまた控訴した。東京高等裁判所での控訴審は3回の弁論を経て結審、2007年3月28日に判決となった。結果、須藤さんの訴えは棄却され、栃木県の訴えに対しては、一審判決の賠償金約9600万円をおよそ9分の1の1100万円にまで落とすという判決が下された。

 その判決内容は、警察の「怠慢」と「殺害」の因果関係を否定し、被害者の生命を救えた可能性は「3割」、さらに被害者にも落ち度があったとして「過失相殺」で5割減、とする根拠も明示されていない驚くべきものだった。一審の画期的な判断を全面的に否定する判決であったと言っていい。

 須藤さんはただちに上告した。これからの上告審が最後の審判となる。