2007年3月28日、東京高等裁判所は、「栃木リンチ殺人事件」での主犯の親に対する監督義務違反、並びに、被害者救出の要請に対し最後まで捜査活動を行わなかった栃木県警の責任を問う国家賠償裁判に判決を下しましたが、その内容を説明させていただきます。
・主犯両親の監督義務違反においては、
一審・二審ともに、主犯の幼少時からの犯歴に対し適切な監督をとってこなかったとする事実は認定されているものの、被害者を監禁しての恐喝を行っている状況を主犯の両親(父親は当時栃木県警の警部補)が認識していないことを理由に責任は認められないとした。
・国家賠償訴訟となる栃木県警の責任では、
警察の権限の不行使と被害者の死亡との因果関係を認めた宇都宮地方裁判所の画期的判決を大きく後退させた。栃木県警の権限の不行使の違法性は認めたものの、被害者を救出できる確率を30パーセントとし、被害者にも50パーセントの過失があったとして、栃木県警の権限の不行使との因果関係は認められないとした。
この判決を聞いて、日本中の警察官と日本中の非行少年をもつ親たちは胸を撫で下ろしてはいないか。
昨年4月12日、宇都宮地裁で出された一審判決は、被害者が殺害される1か月前、栃木県警石橋警察署(現在の下野警察署)の生活安全課の警察官のもとを訪れた被害者の会社の同僚2人から被害届と被害者救出の要請があったことを認め、この時点で栃木県警が権限を行使していれば被害者の救出は可能であったとして、権限の不行使の違法性を認め、さらに被害者の死亡との因果関係をも認めていた。
ところが今回の東京高裁では、この被害者の会社の同僚たちの証言や証拠を認められないとした代わりに、殺害の1週間前に被害者の母親からの電話で銀行の防犯カメラの取り寄せと、明らかにわかる程の顔にやけどを負っているとの申告を放置したことが違法であるとしたうえで、この1週間の期間内に被害者を救出できる確率は「30パーセント」しかなかった、としたのだ。
殺人事件の裁判で、被害者の「生存確率」を云々することはめったにないだろう。これは一般には、医療過誤事件の裁判などにおいて使われる例でしかないと聞く。
かりに、高裁のこの判断に百歩譲るとしても、被害者の救出と生存確率が「30パーセント」もあるのに権限を行使しないでよいはずがない。それだけの確率があるというのに、なぜ殺害との因果関係を認めないのだろうか。理由になっていないと思う。
さらに、被害者にも50パーセントの過失があるとした点。
これまでにも多くの監禁殺害事件が起きているが、逃げようにも逃げ出せない状況や、逃げきったあとに家族や友人たちにかかる迷惑や身代わりに被害をうけるのではないかと精神的に追い込まれた被害者がいることを、この裁判官は知らないのかと言いたい。
このような判決がまかり通るのであれば、今後の日本の警察官の口からは、「民事不介入だから」とか「事件の可能性はないから」などと、市民の必死の要請をはねつける言葉ばかりが繰り返されるだろう。これまで警察が見殺しにしてきた被害者を、これからも出しつづけることにつながるはずだ。このことを強く懸念するのは私一人だけなのか。
この私の文章を目にするあなたのお子さんや可愛いお孫さんたちが、安心して安全に暮らすことができる社会はいつになったら来るのか。それを強く願わなければならない時代になっていることを、一人でも多くの方に知っていただきたいと思うのです。
そのために私は上告をしました。もしも最高裁で認められなかったとしても、それでも私は声が出る限り、訴え続けていきます。
(2007年4月11日)