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大統領は最期まで判断力を維持していたのか?

死の謎をめぐる論議がつづく

 フランクリン・デラノ・ルーズベルト米国大統領は、一九四五年四月十二日、空前絶後の大統領四選を果たしてから五カ月後、そしてヤルタ会談から二カ月後に死去しました。主治医ブルーエン医師(軍医)による死亡診断は脳溢血(「広範囲に及ぶ脳内出血がくも膜下に流れ込み、その結果、頂部硬直が起きた」)であり、誰にも予想できなかった突然の死であるとされました。以後、これが死因に関する公式見解となりますが、すでに死の直後からこの公式発表には疑義が呈せられ、今に至るも米国内では論議がつづいています。

メラノーマが脳と腹部に転移

 本書は神経科専門医ロマゾウ氏と、『ニューヨーク・ポスト』紙を中心に健筆をふるう政治記者フェットマン氏が、大統領の死の真因を追究、当時の診療記録、ルーズベルトと親交のあった遠縁の従姉妹マーガレット・サックリーの、近年公刊された日記等をもとに、本当の死因は「左眉の上に生じたメラノーマ=悪性黒色腫(すなわち皮膚癌)の脳と腹部への転移」と結論づけたものです。しかも大統領と主治医は、一九四〇年には癌の存在を知っていた可能性が高く、巧みなメディア工作により、この重篤な病がひた隠しに隠されていたことを明らかにしています。

 著者たちの追及姿勢は冷徹かつフェア。大統領が癌で死去したとの結論にいたる根拠はじつに説得力がありますが、ここではそのうちの二つを挙げます。

 ①一九三九年から四二年までに撮られた三枚の写真に見る、左眉上の黒変の変化。明らかに黒変が薄まっていることがわかり、うち一枚には目立つ外科手術の痕跡が見られる。一九四〇年、重巡洋艦タスカルーサでの巡視のさい、艦上で色変部の切除手術がおこなわれたのであろう(6章、一二〇頁。色変が良性か悪性かは判断がついたはずでしょう)。

 ②一九四五年三月一日のヤルタ会談の議会報告で、雄弁家として知られたルーズベルトが、たびたび原稿を読み間違え、馬鹿げたアドリブを挿入。これは癌がすでに脳に転移して片側視野欠損を起こし原稿の左端の単語が見えなかったためである(1章で詳述)。

日本人が知らない特異な人物像が浮き彫りに

 石橋湛山、池田勇人、安倍晋三。周知のとおり三人は、いずれも病を得たことを理由に任期途中で首相の座を降りました。その重責に鑑みれば、病を自覚したのちの出処進退の決断には相当な葛藤があったはずですが、続投による悪しき影響を考え退陣の道を選んだのでしょう。それに比してルーズベルトは、ふいに意識を失う症状が見られた(一九三八年)のちも三選に出馬して勝利し(一九四〇年)、周囲が健康問題に強い懸念を示してもなお四選に挑んで当選をはたします(一九四四年)。三十九歳のときにポリオに罹患、下半身不随となるもそのハンデを克服した自信か、強烈な政治的野心か権勢欲ゆえでしょうか。

 渡辺惣樹氏は訳者による「まえがき」で、本書は単なる医学的謎解きの書ではなく、太平洋戦争時の米国の行政府の長にして軍の最高指揮官であったルーズベルトの人物像を理解するための格好の入門書であると書いています。彼がいかにして政権を奪取し、死に至る病を抱えながらこれを維持したか。日本人が知らなかったその特異な人物像をも本書は浮き彫りにしていくのです。

死の真相と第二次大戦(太平洋戦争)の評価

 ルーズベルトの癌が進行していたであろう時期は第二次大戦という歴史的重大局面にあたります。執務中に意識が飛ぶ場面をたびたび目撃され、テヘラン会談においてはスターリンと見当違いの会話をしたというルーズベルトに、ちゃんとした判断が下せたのか。とりわけスターリンに大幅に譲歩したヤルタ会談の結果出現した戦後冷戦構造のなか、共産主義諸国では夥しい数の人々が残酷な死に追いやられたことに思いをいたせば、なんとも空恐ろしくなってきます。

 米国内でルーズベルトの死の真相が一種のタブーとなり、と同時に今も論議されつづけるのは、これが第二次大戦(太平洋戦争)やヤルタ会談の評価に深くかかわっているからでしょう。渡辺氏は「訳者あとがき」で、死の真相を含めてルーズベルト批判が許されない米国内の空気を鋭く洞察したうえで、次のように書いています。

 「日本国内における太平洋戦争の分析は、国内事情を語り、日中戦争の原因を語ることがほとんどでした。しかしそれだけでは、井戸の中で天気予報をするようなものだと (「訳者まえがき」で) 書き、外に出ることを勧めました。本書だけで、井戸の外に、頭上に広がる天空を観察することはできません。それでも、たとえば、『あの戦争はフランクリン・ルーズベルトというアメリカ史上でも極めて特異な政治家によって起こされた側面が強い』という解釈に対して、それに同意できないにしても、少なくとも聞く耳だけは持てるに違いありません」

 同じく渡辺氏の訳した『ルーズベルトの開戦責任』(ハミルトン・フィッシュ著、二〇一四年、小社刊)と併せて読んでいただければ、太平洋戦争史が従来とはまったく別の様相を呈して見えてくることでしょう。

(担当:A)

スティーヴン・ロマゾウ

神経科専門医として25年以上のキャリアを持つ。マウントサイナイ医科大学(ニューヨーク市)神経学助教授。ニュージャージー州検視医会所属。同州神経科学会会長。ペインクリニックや医療における政治要因等について幅広く講演し、連邦取引委員会では米国神経科学学会を代表して証言。米国史に関する講演も多い。「報道・表現の自由、自由な精神」のために設立された無党派の組織「ニュージアム」顧問。

エリック・フェットマン

『ニューヨーク・ポスト』紙論説副主幹。同紙で35年にわたりジャーナリスト活動(政治コラム、首都面担当)。『エルサレム・ポスト』紙編集長を歴任。『ネーション』誌、『USAトゥデイ』紙等に寄稿。雑誌の調査報道シリーズによりジャーナリスト協会賞に入賞(共同執筆者)。ジャーナリズム史家として多くの百科事典編纂に携わり、BBCの歴史部門顧問としても活躍。

渡辺惣樹(わたなべ・そうき)

日本近現代史研究家。1954年生まれ。東京大学経済学部卒業。著書に『日本開国』『日米衝突の根源 1858-1908』『日米衝突の萌芽 1898-1918』(第22回山本七平賞奨励賞)『TPP知財戦争の始まり』『朝鮮開国と日清戦争』、訳書に『日本 1852』『日米開戦の人種的側面 アメリカの反省1944』『ルーズベルトの開戦責任』(いずれも草思社刊)がある。

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