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これを読まずして、すし、鰻、天ぷらを語るなかれ

何としてもうまく食いたい! 執念にも似た日本人の「魚愛」はどこからきたのか?

 塩をして、干して、火を通して、燻して、たたいて、発酵させて、そして生のままで。ひとつの魚に対して、これでもかと手をかけて、何としてもうまく食べようとする日本人。本書によれば、日本人が生み出した多様な魚の食べ方は、決して「豊かな水産資源」がもたらしたのではなく、「食べたいのに食べられない」という逆境からうまれたものだったといいます。現代と違い、保存や輸送が難しく、氷も冷蔵庫もない時代、たとえ魚がたくさんとれても、みるみるいたんでしまうし、「生」で食べるなんてとんでもない。自然の恵みを享受することには、大変な苦労をともなったのです。一般の庶民がやっと魚を食べられるようになったのは実に江戸時代に入ってだいぶ経ってからのことで、長い日本の歴史においてそんなに昔ではありません。

 本書は、そうした食べたいけど食べられない、なら何とか魚を食べられるようにしようという強い思いをもって、知恵を絞り、工夫を重ね、やがて江戸前魚食文化を花開かせるまでの、日本人と魚の長きにわたる歴史をあますところなく紹介するものです。

本書を読めば、すし、鰻、天ぷらが100倍うまくなる!

 何より、元学芸員であり築地市場に15年も務めた著者だけに、視点はかなりマニアック。一般人が知らない魚のうんちくが満載なのも本書の大きな魅力です。本書を読めば、すしや鰻、天ぷらなどがどのようにうまれたか?(*1)がわかるのはもちろんのこと、漁師はどんな人がやっていたのか?(*2)、江戸っ子の「いき」と魚の関係とは?(*3)、なぜ鰻のことを江戸前といったのか?(*4)、江戸の外食店の始まりは?(*5)等々、江戸や魚に関するおおよそすべての知識を身に付けることができます(*…答えは下に)。読んだあとに魚を見る目が変わることは間違いありません。

 さらに、付録の「魚河岸の魚図鑑」では、江戸の日本橋の魚河岸で実際にあつかわれた様々な種類の魚を当時の江戸の文献に基づいて紹介していますので、魚好きの江戸人の気持ちを想像しながら楽しんで読みつつ、魚の知識を学べるようになっています。

 いよいよ築地閉場を11月にひかえ、日本人として魚食の歴史についてあらためて考えてみたいという人はもとより、多くの方に手にとっていただきたい一冊です。

(*…答え)
*1)すしや鰻、天ぷらなどがどのようにうまれたか?
すしも鰻も天ぷらも後に高級化しますが、初めは庶民の手軽なファストフードとして登場しています。いずれの料理もルーツをたどれば、関西でうまれたものですが、江戸において洗練され「江戸前料理」として花開きました。江戸には、何よりも魚貝の宝庫ともいえる豊潤な江戸前の海と巨大な生鮮市場魚河岸があったこと、さらには関東風の味覚形成に大きな影響を与えた醤油や味醂をはじめとする調味料が普及したことが、江戸前料理の完成に大きな役割を果たしたと考えられています。(詳細は第八章ご参照ください)

*2)漁師はどんな人がやっていたのか?
漁師とは徳川政権の下に再編成された漁村の漁民たちに与えた尊称です。はじめは漁業適格地と認められた専業漁村の者に限られましたが、後に漁撈をおこなう者を広く漁師と呼びならわすようになりました。

*3)江戸っ子の「いき」と魚の関係とは?
江戸は武士の都でしたから、町人たちはつねに支配者層の存在を感じずにはおれませんでした。そんなことから武士への対抗心がうまれていきます。「通」、「はり」、「いき」などの価値観は、いずれも江戸っ子の世の中に対する反骨精神に育まれたといってよいかもしれません。町人が武士に対抗できたのは「遊郭」と「芝居」、そして「食」です。そのため、単にうまいものを楽しむ風情にとどまらず、たとえば「初鰹は誰よりも早がけに食う」というような、江戸っ子独特の価値観が醸成されたのでしょう。

*4)なぜ鰻のことを江戸前といったのか?
隅田川河口や深川は風味の良いウナギを産出する恰好の漁場でしたから、ご当地産のうたい文句として江戸前と呼ぶようになりました。江戸人の自慢は大変なもので、隅田川産や深川産以外は「旅鰻」とか「江戸後」などといって嫌ったといいます。

*5)江戸の外食店の始まりは?
明暦の大火(一六五七)の際、罹災民に食事を供する煮売りの店があらわれたのをきっかけに、江戸に外食店がつくられるようになりました。つまり江戸の外食店は災害によってうまれたといえます。江戸時代の初めは買い食いの風情はなく、寛永の頃(一六二四-四四)には、東海道のような街道筋の限られた場所に茶店が点在する他は、飯を売る店は一軒もなかったといいます。

(担当/吉田)

冨岡一成(とみおか・かずなり)

1962年東京に生まれる。博物館の展示や企画の仕事を経て、1991年より15年間、築地市場に勤務。「河岸の気風」に惹かれ、聞き取り調査を始める。このときの人との出会いからフィールドワークの醍醐味を知る。仕事の傍ら魚食普及を目的にイベント企画や執筆などを積極的におこなう。実は子どもの頃から生魚が苦手なのに河岸に入ってしまい、少し後悔したが、その後魚好きになったときには辞めていたので、さらに後悔した。江戸の歴史や魚の文化史的な著述が多い。

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