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漱石は百年計画で敵を倒せたか

 明治39年1906年の高浜虚子宛の書簡に漱石はこう書いている。

「僕は十年計画で敵を倒すつもりだったが、近来これほど短気なことはないと思って百年計画に改めました。百年計画なら大丈夫、誰が出て来ても負けません」

 何を敵と称しているのか真意は定かではないが、漱石の時代への痛烈な批判精神だけは伝わってくる。さてそれから110年たって、2016年今年は漱石没後百年というメモリアルイヤーである。関連書もいくつか出たし、朝日新聞には再度漱石の小説が連載された。『夏目漱石の妻』という連続ドラマもNHKテレビでやっている。

はたして漱石は敵を倒すことができたのだろうか。

 夏目漱石は1867年慶応3年生まれだから明治元年の前の年に生まれている。亡くなったのは1916年大正5年である(享年49)。ほとんど明治と重なる時代を生きた人である。同じ年の生まれには幸田露伴、斎藤緑雨、宮武外骨、尾崎紅葉、正岡子規、南方熊楠と明治のそうそうたる文人がそろっており、坪内祐三氏が彼らを題材に『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』という本を書いている。

 英文学などを馬鹿正直に勉強してロンドンにまで留学したが、日本人が英文学を学ぶことの限界を悟って神経衰弱になり、戻ってから小説家に転身する。処女作『吾輩は猫である』が1905年明治38年発表であるから、小説家としての実働期間はほぼ10年というに過ぎない。驚くべき集中力とエネルギーをもって書き続けたことになる。

 漱石の生きた時代は富国強兵と立身出世がはびこる時代でもある。彼が敵視していた時代風潮には事欠かなかった。

 今の時代は停滞した格差社会になりつつある。百年たっても敵は変わらず倒れないままでありそうだが、百年後も漱石が読まれていることだけには救いがある。

「百年の後、百の博士は土と化し、千の教授も泥と変ずべし。余はわが文をもって百代の後に伝えんと欲するの野心家なり」

 本書『夏目漱石の人生論 牛のようにずんずん進め』は今の世にも通ずる漱石からの若者へのアドヴァイス、名言を満載した本である。人生に臆病な若者に読んでいただきたい。

(担当/木谷)

齋藤孝(さいとう・たかし)

1960年、静岡県生まれ。東京大学法学部卒、同大学大学院教育学研究科博士課程を経て、現在、明治大学文学部教授。専攻は教育学、身体論、コミュニケーション技法。著書に『宮澤賢治という身体』(宮澤賢治奨励賞)『身体感覚を取り戻す』(新潮学芸賞)、ベストセラーとなった『声に出して読みたい日本語』(毎日出版文化章)などがある。近著に『語彙力こそが教養である』『こども 孫子の兵法』『声に出して読みたい旧約聖書』がある。

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