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女たちの王国

ヒマラヤ山脈東麓、美しい湖のほとりの不思議な国

 シンガポールの中国系女性である著者は、世界有数のファンド企業の弁護士としてカリフォルニアとシンガポールを中心に、世界を飛び回るまさに企業戦士。が、その苛酷で競争的な男性原理のビジネス社会に疲れ果て、ある日辞表を出して仕事をやめてしまう。

 自由の身になった彼女の目にふと留まったのが、自らの父祖の地である中国の奥地にある「モソ」の社会。現在もなお「母系社会」が息づいているその秘境の集落に心吸い寄せられた彼女は、ヒマラヤ東麓のそのはるか彼方の地に赴き……そして本書のお話が始まるわけです。

家の中心はお祖母さん。その娘、その孫娘が代々受け継ぐ

 多民族国家中国には現在も55の民族が存在しているそうです。そのなかでも本書の舞台となった「モソ」の人たちは、雲南省と四川省とが接する地にある「ルグ湖」という美しい湖のほとりに暮らしています。人口は約4万人、農業を中心とする伝統的な社会ですが、近年はその地の風光明媚とめずらしい社会構造が話題となり観光地としても盛んになってきたようです。

 そのめずらしさが、純粋な「母系社会」であること。

 これは「父系社会」をひっくりかえしたような社会。お祖父さんが家長となり、その息子の長男、孫の長男が代々家長を継ぎ、お嫁さんはその「家」に嫁いでその一員となる。というのが父系社会ですが、モソでは、お祖母さんが家長となります。

 そしてその娘、孫娘と家長を継いでいきますが、「長女」とは限らないそうです。家長にふさわしい女性が家の中心になっていきます。

「結婚」がない。「夫」とか「父親」の概念もない

 もっとも珍しいのは「結婚」という概念がないことです。男女の関係は「走婚」とよばれる自由恋愛で、いろんな相手と、ときには複数の相手との恋愛を楽しみます。そこで授かった子は、あくまで女性の子であり、その女性の家の子であって、「父親」が誰かは意識されないそうです。

 子はすべてその家の家族の一員として育てられ、その家族の一員として生涯を暮らしていくわけで、「他家に嫁ぐ」ということはありません。

 男性のほうは「自分の子」と意識することもなく、もちろん養育の義務もありません。しかし、自分の家の姉妹の子、つまり自分の甥や姪に対しては伯父・叔父としての責任と義務をもつ。立派な大人に育つように見守り教育していくのだそうです。

 つまり祖母を中心に、その娘や息子、そのさらに子どもたち、さらにまたその子どもたちがひとつの「家」として暮らしていくのが、モソの「家母制」とも呼ぶべき母系社会のあり方なのです。そこには「夫」とか「父親」という存在は入ってこないのです。

 ただし、これは規則でもなんでもなく、なかには一組の男女がいっしょに生涯を暮らすケースもあり、けっして強制された制度ではないことも面白い点です。

端正で落ち着いた女性たち、魅力あふれる男性たち

 さて、モソの女性はこのように家を支え、家族を支える存在ですから、みな毅然として落ち着き、静かな自信に満ちたたたずまいをしています。美人というより端正な顔立ちの人が多いそうで、ふだんは化粧したり着飾ったりもしないそうです。異性を相手に自分を美しく見せる必要がないからでしょうか。

 かたや男性はなぜか男前がそろっているそうです。女性が男性に求めるものは、健康で頑健な肉体と魅力的な容貌だといいます。「経済力」は求められません。家を支えるのは女性なので、男性には求められないのだそうです。

 もちろん男性も働きものぞろいで、いわゆる力仕事、農耕の仕事に家畜、狩猟なども彼らの仕事。家を建てたりの土木作業も男の仕事です。

 モソの社会に惹かれた著者は、ある日、モソの男性から「家を建ててここに住めばいい」と勧められます。それであっという間に立派な御殿のような木造家屋を建ててもらいました。建ててくれたのがその男性。口絵にもありますが、ジャッキー・チェンに似た男前でカウボーイハットを粋にかぶっています。

 身長は180センチを超える偉丈夫で、ちなみにDNAを調べさせてもらうと、なんと北欧にルーツをもつ遺伝子を持っているらしいこともわかったそうです。

われわれの社会常識をひっくり返して見せてくれる

 モソの地に家をもち、人びととともに日々を過ごしながら著者はこの母系社会を観察し、自らも体験していきます。地元の子どもたちの「義理の母」になったり、モソの名前をつけてもらい民族衣装を着て、伝統的な祭祀に参加したり。

 すべてが新鮮な驚きに満ちていますが、すべてが諍いのない平和な日々に覆われていることにも驚かされます。

 自身がそこで暮らしての体験記だからこそ、モソの社会の魅力がしっかりと伝わってきます。この不思議な「女たちの王国」は、一方で、現在の私たちの社会のややこしい歪みを鏡のように照射してくれるようにも思います。ぜひご一読を。

(担当/藤田)

曹惠虹( チュウ・ワァイホン )

世界有数のファンド企業弁護士としてシンガポールとカリフォルニアの法律事務所で活躍したのち2006年に早期リタイア。現在、シンガポール、ロンドンを拠点に、英字新聞チャイナ・デイリーなどに旅行記を掲載している。2017年刊行の本書は英紙ガーディアン、ザ・ストレーツ・タイムズなどに取り上げられた。モソ人との生活はすでに6年におよび、1年の半分を雲南省の湖畔に建つ自宅で過ごすかたわら、急速に進む中国化の波から地元の農業を守るため社会的企業を展開している。

秋山勝( あきやま・まさる )

立教大学卒業。出版社勤務を経て翻訳の仕事に。訳書に、ジャレド・ダイアモンド『若い読者のための第三のチンパンジー』、デヴィッド・マカルー『ライト兄弟』、バーバラ・キング『死を悼む動物たち』(以上、草思社)、ジェニファー・ウェルシュ『歴史の逆襲』、マーティン・フォード『テクノロジーが雇用の75%を奪う』(以上、朝日新聞出版)など。

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