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立ち読みコーナー
楽しい昆虫採集
奥本大三郎 / 岡田朝雄
虫の掴まえ方(※「掴」=手偏に國)

 昆虫は全動物の中でも、もっとも種類の多い、繁栄している生物である。海の中にこそあんまりいないけれど、それ以外のありとあらゆる場所に適応して住んでいる。
 その数は、現在知られているだけでも百八十万種はあるだろうという。むかし、私などが子供の頃に読んだ本には動物全部で百万種類、そのうち六十パーセントが昆虫である、などと書いてあったように思うけれど、最近の本では、知らない間にその数がずっと増えている。おまけに毎年、全世界で新種が七、八千も発見され続けていて、最終的な実数については、昆虫学者によって意見が違うけれど、現在の既知種の五倍とも五十倍とも考えられているというのである。百八十万の五倍としても九百万種、五十倍なら九千万種ということになる。これはまことに驚くべき数であって、十人十色とはいうものの、もとをただせばただ一種類の人間が、昆虫を研究し、その全容を解明することは容易なことではない。
 そんなたくさんの種類の昆虫が、それぞれ飛んだり跳ねたり、這ったり走ったりする。危険を感じたときに逃げるのが動物であるから、これを掴まえるには、工夫がいる。


手づかみ
 まずむんずと手でつかむ、という方法がある。止まっているトンボなら、ひとさし指でぐるぐるとウズ巻きを描いて、トンボがそれに気をとられて大きな複眼をくるくるさせているあいだに近よってぱっとつかむ。慣れればこれも有効な方法で、シオカラトンボやアカトンボぐらいなら、これで何とかなる。
 しかし人間の手というものは、虫から見ればドデカイしろもので、とても映画のキングコングどころの騒ぎではないから、こっちはやさしくそっとつまんだつもりでも、繊細な甲虫などは手足がもげたり、身体がつぶれたりして、標本にならなくなってしまう。こういう場合はやはり先の細いピンセットではさむのがよろしい。
 次に、飛んでいるものを棒ではたき落とす、という手がある。虫を捕って食べるのならこれでよいけれど、虫体が壊れるから、やむを得ぬ場合以外はやめた方がよろしい。しかし蛍に限っていえば、竹ぼうきや笹、あるいはうちわではたき落とすのが正式で、これを捕虫網で採ったのでは、やっぱりあじけない。


帽子で伏せる
 これはむかしの中学校などで演習に行った際、どうしても欲しい蝶を見つけて、配属将校の目を盗んで採る、などという場合に用いられた方法で、現在では採集禁止の高山の花畑などで、監視員のいないときを見はからって実行されているのかもしれない。
 大陸の戦線にいる、むかし教えた学生から、「帽子で押さえました」といって、手紙の間にはさんだオオアカボシウスバシロチョウの、血のように赤い紋のついた純白の翅が四枚、開封したとたんにはらりと落ちる、などというのが、戦争中の昆虫学者の随筆にはある。その場合、帽子はむろん戦闘帽である。


鉄砲で撃つ
 世界でいちばん大きな蝶は、といったときに、まっさきに名のあげられるのがニューギニアのアレクサンドラトリバネアゲハというアゲハチョウの仲間で、このグループの蝶はいずれもきわめて大型であるうえに高所を舞うように飛ぶ。そういうときは下でいくら歯ぎしりしても網などとても届くものではない。仕方がない、というので鉄砲で撃ち落としたという標本がいくつか欧米の博物館に保存されている。
 たとえば一八八四年から八五年にかけての、英国海軍のヘラルド号とラトルスネイク号による太平洋遠征の際、博物学者のジョン・マッギリヴレイによって撃たれたヴィクトリアトリバネアゲハの標本が大英博物館に保存されているけれど、その写真を見ても普通考えるほど蝶の翅も身体も傷んでいない。その鉄砲は散弾銃ででもあったのか、多分、ショックで落ちてきたものであろう。
 しかしこれはよくよくの場合で、いつもいつも鉄砲やカスミ網で蝶を捕るのは得策ではない。ただし、アフリカなどで、夕闇の中をブンブン飛ぶ大型の甲虫をカスミ網で捕っている学者もいることはいる。


奥本大三郎
1944年大阪生まれ。四歳の頃、父に与えてもらったヤンマを見て虫に魅せられるようになる。埼玉大学教授。フランス文学専攻。著書に「虫の宇宙誌」「虫の春秋」などがある。現在、「ファーブル昆虫記」を完訳中。日本昆虫協会会長。

岡田朝雄
一九三五年東京生まれ。東洋大学教授。著書に『ドイツ文学案内』『楽しい昆虫採集』(共著)、訳書にヘッセ『蝶』『色彩の魔術』、F・シュナック『蝶の生活』などがある。