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立ち読みコーナー
絵日記 少女の日米開戦
西川久子
はじめに

 先日、本箱の整理をしていると、一冊のとても古ぼけたノートが出てきた。手にとってみると、その表紙には、クレヨンでもんぺ姿の女の人が描かれていて、その左右に「大東亜戦争」「銃後をかたく守りませう」と幼い字で書いてある。中を開いてみると、それはなんと太平洋戦争勃発の日である十二月八日に書きはじめた私の日記帳だった。一ページ目には「非常時ダー 頑張ラウー」と赤いクレヨンで大きく書かれている。二ページ目以降は、今では変色してしまったざら紙の無地のノートに自分で線を引き、上下に区切って上段には絵を描き、下段には文を書いている。まったくへたな絵だが、人物中心にくわしく描いている日もあるので、そのころの服装や生活の様子がなつかしく思い出されてくる。
 当時、私は小学校、いやその年の四月から名称が変わった紫明国民学校の三年生だった。両親と姉の四人暮らしで、京都の植物園や賀茂川に近い所に住み、父は今の言葉でいえば公務員でひたすらまじめに働き、母は家事にいそしむという、どこにでもある平凡な幸せな家庭だった。あの大戦争が始まったとき、私たち子どもは何を考え、何をしていたのだろうか。敗戦の悲劇と混乱にばかり気をとられて、戦争初期の様子など思い出したこともなかった私の前に、この日記帳は、突然現れたのだった。
 文章は旧漢字、旧かなづかいで書いてあったが、それを新漢字、新かなづかいに直しながら本文をそのまま書き写して、それぞれの日記のあとに少し説明をつけていきたいと思う。なお、日記のなかでひらがなで書いてあるために理解しにくい箇所は、カッコ書きで漢字を併記させていただいた。また、日記の各見出しは、今回の出版にあたってつけたものである。


西川久子
一九三二年京都生まれ。京都市立紫明小学校、京都府立朱雀高校をへて、京都大学大学院修了。フランス文学専攻。著書に『ロバートがやって来た』(絵=帆波のり 理論社刊)がある。