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立ち読みコーナー
一中尉の東南アジア軍政日記
榊原政春
十一月八日  火 仏印サイゴンへ

 総力戦研究所長、遠藤〔幸男〕海軍中将の話しを聞き、会館から帰ったのは十一時頃だった。眠いと思いながら玄関を入ると兵隊さんの靴が二つある。妻〔喜佐子夫人〕が、隊〔世田谷第十三部隊〕から兵隊さん二人来て、さっきから待っていると云う。例の青柳君と迫田君、さっきから馬鹿にかしこまって待っていて「何だい」と聞く。「実は実は」と中々話さない。「実は外で話したい重要なことがある」と云う。「何でもいいから、ここで話してくれたまえ」と云えば、「実は今度南方軍総司令部付に転属になった」と云う。何だ、それかと笑い話になる。両君は間もなく帰る。妻に一応話をする。妻は僕よりうわてだ。何だかそんな気がしていたと云う。
 思えば昭和十三年八月十五日召集されてから約三カ年半、今になって出掛けるとは思わなかった。しかし正に超非常時だ。私事を捨てて奉公せよ。しかも今まで南進日本のために専念し、今後も努力せんとする僕にとっては当然であり、また絶好の機会だ。
 僕は勇躍前進する。
 一月生まれるぼーやを夢みながら床に就いた。


十一月十九日  水 

 朝飯を食って隊へ行く。隊のもの一同びっくり。でも僕の腹は大体定まっている。隊長に親切により壮行の昼食をやってくれる。誠に感謝にたえぬ。僕も召集依頼、軍人としては足らずとも、人間としては出来るだけ働いてきたつもりだ。十一月、隊の行事の後始末をせず、教育関係の書類を残して、懐かしい将校、同僚、下士兵諸君と別れるのは痛い、淋しい。
 帰途、陸大に寄る。これが総軍司令部設立事務所だ。権田原よりの小さな通用門から入る。奥のバラック建てが事務所だとか。大槻参謀、米沢少佐等に会う。仏語はよく出来るかとの問い、これにはいささか閉口、とにかく任地に到着の上、何とか適当の所へもぐり込もうと決心す。今日は何となく疲れた。もうどこへ行く元気もなく帰宅する。ぼんやり仕度でも始めながら一日を終わる。


十一月二十日  木

 隊へ行く。六十一部隊の演習より急遽帰隊した竜野君と事務の引き継ぎをする。玉木、青柳両君、一生懸命に仕度の世話をしてくれる。感謝、感謝。双葉亭でお別れの昼食をすませ、相互銀行〔重役の一人が榊原家の相談役だった〕の相談役会に行き、家事全般を依頼する。皆気持ち良く引き受けてくれる。これで家の心配はない。杉並の家を引き上げて山谷に合体することに決定。あと気にかかるのは、やはり一月生まれる新生命のみ。それと若き母体。
 久しぶりに会社〔台湾拓殖株式会社〕を訪ねる。重役は大西理事一人。色々と仏印の話を聞く。長谷川、黒川君〔ともに台拓社員〕等に会う。
 今夜は第六天〔徳川家。夫人の実家〕に招待されている。今日は忙しい。電車の走りが何となくにぶい。松平氏夫妻〔夫人の妹夫妻〕等と水入らずで一杯やる。中々愉快だ。公爵〔義兄の徳川慶光〕に万事頼んで帰宅した。


十一月二十一日  金

 理髪屋へ行き身を清め、高輪御殿〔高松官邸。高松官妃は夫人の姉〕へお別れに参上す。東横で玉木、青柳両君及び長らく世話になった椎名、平沼両君への粗品を買って隊へ行く。例の教育委員室でしばらくだべる。これが或いは隊の最後かもしれない。
 陸大で明日の事務を打ち合わせて、水戸様の結婚披露宴に出席す。紳士淑女各位としばしのお別れ。家でゆっくり夕食を食う。喜佐子のお陰で荷物は大体出来た。感謝、感謝。


榊原政春
明治四十四年生まれ。昭和十二年、東京帝国大学法学部を卒業し、台湾拓殖に創立と共に入社。社長秘書を務める。昭和十三年八月に召集され野砲第一連帯に入隊(二等兵)。野戦砲兵学校(幹部候補生)、東部第十三部隊(見習士官)を経て、昭和十五年八月、陸軍少尉任官。昭和十六年十一月、南方軍司令部付に転属となり南方へ出発。昭和十七年三月、陸軍中尉に昇進。はじめ報道部、後に軍政部員として、昭和十八年五月の帰還までに日本占領下の東南アジア全域をまわる。帰国後は、大東亜省南方事務局、軍需省などに勤務。戦後は、貴族院議員を務めた後、富士自動車特別顧問、東急建設顧問などを歴任。