www.soshisha.com
立ち読みコーナー
北朝鮮を知りすぎた医者
ノルベルト・フォラツェン / 瀬木碧 訳
 日本の読者のみなさんへ

 医学においては正しい治療をする前に、まず診断をしなければなりません。私はホームドクターとして、できるだけ詳しく患者の人生を知り、病気になった過程、つまり実際にあらわれた病状の真の原因を心身両面から探ることに重きをおいてきました。患者たちの個人的な悩みや苦しみに深くかかわるために、家庭を訪問し、家族と、セラピーを目的とした会話をし、総合的な見方をしようとしたのです。
 一九九九年七月、私はドイツの緊急医師団〈カップ・アナムーア〉の医師として北朝鮮に入りましたが、こうした従来のやり方は北朝鮮ではことごとく不可解に思われました。この国は閉ざされており、わずかな外国人は、もっぱら援助物資を分け与える存在としてのみ滞在を認められ、厳重に隔離されています。よほどのことがない限り現地の人たちと接触することはできません。けれども、幸いなことに医師の仕事は、人々と出会うチャンスが数知れずあります。事故が起きる。人と親しくなり、知り合う。しかし正しい「診断」をするためには、これでもまだ十分ではありませんでした。
 火傷の患者に移植するための皮膚を提供する機会があり、この共産主義国家でマスコミがそれを大きく取りあげたことで、私はまたとない機会を与えられました。党幹部たちから幾度も招待を受け、友好メダルが授けられました。
 これは西側の人間としては初めてのことです。おかげで、ほとんど制約を受けずにこの国を走り回ることができました。友好メダルは魔法のような威力を発揮し、警官や役人に呼びとめられても、これさえ見せればたちどころにフリーパスになったからです。軍事上の理由から行けなかった清津付近は別ですが、南浦、元山、新義州、開城、海州、威興、北倉などに行き、白頭山、妙香山にも招かれました。その結果、考えられないほど深くこの国の現実を見通す機会がありました。つまり正しい診断を下すことができたのです。
 この国の人たちの大半が冒されている病は、凄まじい恐怖です。残忍きわまりない弾圧によって国民を支配下におこうとするスターリン主義の恐怖政治における恐怖。このために国民は病気になっているのです。人々はもうどうにもならないところにきており、希望もなく、未来もなく、多くの人々がいわば気持ちのうえで自殺しています。この恐ろしい体制のなかではこれ以上生きていたくないのです。飢餓と窮乏に加え、社会や政治の状況が病の原因なのです。
 私は二〇〇〇年末に国外追放となりましたが、北朝鮮にいた十八カ月のあいだつけていた日記をもとにこの手記をまとめました。そして、この手記は日本でまず最初に出版されることになりました。北朝鮮についての不安はアジア諸国にとって憂慮すべき問題ですが、とくに近隣国家にとって事は重大です。北朝鮮の軍事的脅威の背景には、二〇〇〇万人の人々が恐ろしい独裁のもと、不安と恐怖のなかで暮らしている事実があります。かのジョージ・オーウェルの『一九八四年』も及ばぬほどの国家像。そこでは体制の犠牲者たちがたえまない軍事訓練により、ロボットのように動く兵士へと「培養」されています。そしてこれがアジアの隣接国家すべてにタイする驚異となっているのです。この体制はすべての人権を否定し圧迫することで、かろうじて存続しています。絶えずくすぶっているこの火種を消すには、この国の人々がおかれている状態を何が何でも改善しなければなりません。
 日本で最初に出版されるこの手記が、北朝鮮における人権について日本のみなさんの注意を喚起し、情報の力によって社会的な状況を変えることの一助になれば……これが私の願いです。マスメディアは世界を変えることができるのです──ときとして、よい方向へと。


ノルベルト・フォラツェン
一九五八年、旧西独デュッセルドルフ生まれ。デュッセルドルフ大学医学部卒業。モルディヴでの医療活動、大学講師、心身医学病院勤務を経て、九〇年、ゲッティンゲンで開業。九九年七月、ドイツ緊急医師団〈カップ・アナムーア〉に加わり、北朝鮮へ。火傷患者への皮膚移植に協力して「友好メダル」を授与され、比較的自由に国内を移動。二〇〇〇年秋に訪朝したオルブライト国務長官(当時)の随行記者を平壌市内に案内したこと、人権抑圧改善を当局に訴えたことから、同年末に国外追放となり、ソウルへ脱出。このとき十六冊の日記と写真、ビデオを持ち出すことに成功。