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立ち読みコーナー
評伝ヘルマン・ヘッセ(下)
――危機の巡礼者
ラルフ・フリードマン / 藤川芳朗 訳
エピローグ 危機の巡礼者

 ヘッセは自分の人生を危機から危機へと旅をつづける巡礼者として描いた。自分のまわりに集まった人々を同行者として、彼は今世紀初頭の『ペーター・カーメンツィント』から歴史上もっとも忌まわしい戦争の時代に描かれた『ガラス玉遊戯』まで、その旅をつづけた。人々は世代ごとに別な動機から彼に心酔したが、ヘッセが歌い上げた単純さへの憧れ、彼に声を挙げさせた精神、しかしその声は彼自身の生涯にわたる葛藤のなかで最初から最後まで対位旋律であった、あの精神の征服への憧れは、全員が共有していた。
 危機が人間ヘルマン・ヘッセを特徴づけていた。同時に危機は、数世代にわたる人々の認識票であった。しかしヘッセは、すべての反対命題を越えて、つねに一つの大きなテーマを──個人こそが最高の価値をもつという揺らぐことのない信念を──たとえそれが周囲の価値観と真っ向から対立しようと、もちつづけた。彼は可能なかぎり局外にとどまった。その距離が、自分に忠実であろうとする彼には必要で、防壁のような役割を果たした。しかしヘッセは、自分の生を形成する時代が見せている未曾有の混乱のなかにこそ、作品想像の基盤であるイメージの生まれるダイナミズムがひそんでいることを、はっきりと感じていた。ヘッセは、作品創造の基盤であるイメージの生まれるダイナミズムがひそんでいることを、はっきりと感じていた。ヘッセは、作品に自分の危機を投影すると同時に読者の危機をも投影し、それによって途方もなく強い力で読者を惹きつけた。彼はわが家にあってはいつも異郷を夢見ており、旅の途上ではいつも根を下ろそうと考えた。禁欲的な精神化を目ざすたびに、いつも流れる水のような官能のはかなさを求めた。しかしこれらは、場合によっては若い読者に自分たちのことを語っているのだという印象をあたえたにもせよ、彼にとってはけっして月並みな反対を唱えるためのリアクションではなかった。それはむしろ、一つの文化の途方もない危機を規定する構成要素だったのであり、ヨーロッパの詩人として、彼はこうした危機の構成要素を表現せずにはいられなかったのである。
 ヘッセの読者へのメッセージは基本的に《エリート向け》のものであり、大衆を軽視する傾向があった。にもかかわらず、彼の作品は当時も今も世界中の無数の若者に(またもはや若くない多くの人々にも)読まれている。《ヘッセ現象》が起こったのは、個人の危機ならびに社会の危機を、ヘッセが自分のなかではね返し、木霊のようにじかに響かせたからで、これは選択の余地など最初からあり得ないリアクションである、がしかし、これまで顧みられなかった新しい洞察を伝える可能性を秘めたリアクションなのである。その結果として、人々はあの「インドの王のように、純真に畏れ敬いつつ、起きてと神々とに……」向かい合ったのである。
 ヘッセの強みは二重の、時には三重の観察の仕方にあった。言葉の才能に恵まれていたので、六歳で早くも経験しなければならなかった追放されたという感情を、自分の言葉で表現した。家族と故郷から隔てられた者として、彼はいつでも、そこにわが家を見た明るい光のなかの世界へ戻ろうとした。独立していたい、しかし同時に庇護されていたい。これは危機に遭遇するたびにヘッセと向かい合う若者が、今も昔も抱いている根元的な欲求である。ヘッセが多くの読者に提示した解決法は単純明快だった。しかし、彼が用い発展させた象徴が、より大きな枠組みのなかでは何を伝えようとしていたかとなると、別の問題である。そうした象徴的表現は、精神的な貴族主義を覆い隠し、因襲にとらわれたところや、作品の裏にある矛盾した姿勢、さらには彼の著作の欠点であるあまりにも単純かした思考法をも覆い隠しながら、特定の世代を越えて兄弟な影響を及ぼした。ヘッセはそうした表現法によって自分自身を神話の《登場人物》として登場させ、その発言が聖なる言葉のように読まれる探求者として、登場させたからである。
 けっして完全ではあり得ないある全一なるものを、帰郷を促す追放を、しかしどこにも見いだされないわが家を、彼は語ったが、その言葉は断片的に、彼の多くの小説、物語、叙情詩に織り込まれている。しかし、何よりも人の心を打つのは、彼ヘルマン・ヘッセが彼自身の生を通してこのメッセージを送りつづけたことである。その生を今も知ることができるのは、彼がごく若いときから書き送った膨大な手紙のおかげである。その生が彼の闘いを一つに束ねていたのだ。本書は何よりもこの生に捧げられている。生涯にわたって活動をつづけ、それゆえに何事にも深い理解を示した一人の人間にたいして、本書では批判もなされているが、その批判の背後には、伝記研究者ならば誰でも抱く、対象とした人物にたいする愛情がある。


ラルフ・フリードマン
一九二〇年ハンブルク生まれ。一九四〇年にアメリカに渡る。アイオワ州立大学をへて、プリンストン大学比較文学科教授。著書に『叙情的小説──ヘルマン・ヘッセ、アンドレ・ジッド、ヴァージニア・ウルフ研究』(一九六三年)、『詩人ライナー・マニア・リルケの生涯』(一九六六年)、編著書に『ヴァージニア・ウルフ』がある。

訳者:藤川芳朗
一九六八年、東京都立大大学院修了。現在、横浜市立大学教授。主訳書に『モスクワの冬』(ベンヤミン)、『カントへの旅』(ヴァイス)、『グリムが案内するケルトの妖精たちの世界』(クローカー)、『マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡』(クリストフ編)などがある。