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立ち読みコーナー
複雑な世界、単純な法則
――ネットワーク科学の最前線
マーク・ブキャナン / 阪本芳久 訳
 歴史上初めて科学者が手に入れた「方法」
 ネットワークの研究は、「複雑性の理論」と呼ばれる科学の広範な領域の一部である。抽象的な見方をすれば、相互作用をする要素──原子、分子から細菌、歩行者、株式市場のトレーダー、さらには国家まで──の集合体はいずれも一種の物質になる。何からできているかにかかわらず、こうした物質には形態に関するある種の法則が当てはまるのだ。複雑性の理論が目指しているのは、その法則を明らかにすることである。複雑さに関する普遍的な科学の研究は夢物語だとばかにする科学者もいるが、本書の核心をなす考え方を知れば、複雑性の理論にはしっかりした根拠をもつ固有の原理があることがわかる。われわれの世界のもっとも深遠な真理は、どのような種類のものが世界を作り、それぞれがどのように振舞うかではなく、実は組織的構造に関する真理であるということになるかもしれない。
 (中略)
 歴史上いま初めて、科学者たちは、あらゆる種類のネットワークの構造について有意義に論じる方法を学びはじめ、以前は何も見つけることができなかったところにも重要なパターンと規則性が存在することに気づきだした。そのことを理解しただけで、いくつかの注目すべき洞察がもたらされている。なぜ富の大半はつねに、最後は少数のもっとも富める者の懐に入るのか? あとで見るように、経済学の理論とはほとんど関係なく、すべてネットワークの基本的な働きに関係しているのだ。なぜワールド・ワイド・ウェブはあれほど効率的に機能し、ごくまれにしかクラッシュしないのだろうか? 分子レベルでさまざまな手ちがいやミスが起きているにもかかわらず、生体細胞はなぜ生きていくことができるのだろうか? ネットワークの視点に立てば、これらの疑問に対する重要なヒントがたちどころに見えてくる。企業における業務のネットワークをどのように組織すれば同じような効率的な設計原理を利用できるかについても、同じことが言える。
 (中略)
 公平を期すために言っておけば、姿を現しつつあるネットワークの科学は、まだ先にあげたような難問のすべてに答えられるわけではない。ある生物が絶滅してしまうと生態系の他の生物にどのように影響がおよぶのか、どうすれば経済が後退するのかを防ぐことができるのか、なぜ三万の遺伝子をもつ人間は二万五〇〇〇の遺伝子をもつ植物よりはるかに複雑なのか。これらの謎は何年も解明されないままかもしれない。けれども、ネットワークの科学は少なくとも、こうした疑問の解明への道に希望のもてる出発点を与えてくれる。


マーク・ブキャナン
サイエンスライター。物理学で博士号を取得。理論物理学の分野でカオス理論と非線形力学の研究に携わった後、一九九五年から『ネイチャー』誌の編集者。その後『ニュースサイエンティスト』誌の編集に携わり、一九九八年よりフリー。既刊書に『歴史の方程式──科学は大事件を予知できるか』(早川書房)がある。

訳者:阪本芳久
一九五〇年神奈川県生まれ。慶應大学工学部卒業。出版社勤務を経て、現在は翻訳業に従事。専門分野は科学技術および科学史・技術史。共訳書に、アーリック『トンデモ科学の見破り方──もしかしたら本当かもしれない9つの奇説」(草思社)がある。