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立ち読みコーナー
文明崩壊(上)(下)
――滅亡と存続の命運を分けるもの
ジャレド・ダイアモンド 著 / 楡井浩一 訳
プロローグ ふたつの農場の物語

 過去に消滅した数々の社会

 過去に数多くの社会が崩壊もしくは消滅し、シェリーの詩『巨像オジマンディアス』に描かれたような大規模な古蹟を後代に遺してきた。ノルウェー領グリーンランドは、そのほんの一例に過ぎない。ここでいう崩壊とは、相当広い区域内での居住人口の、及び政治的・経済的・社会的複雑性の、あるいはどちらか一方の長期にわたる激しい凋落を意味する。つまり、崩壊という現象は、いくつかの種類のゆるやかな衰退がきわまった形であり、ある社会の衰退がどの程度激しければ崩壊と呼べるのかという判断は、恣意的なものにならざるを得ない。ゆるやかな衰退のなかには、個別の社会における通常の小幅な資産の増減や政治・経済・社会の小幅な改変、地域全体の人口や複雑性に変化をもたらさない形での、ある社会による隣接社会の征服、あるいは隣接社会の隆盛によるある社会の衰退、社会内のある階層による支配層の更迭もしくは転覆などが含まれる。そういう基準に照らして、以下に挙げる過去の社会は、ささやかな衰退ではなく全面的な崩壊の被害者として、大多数の人が認める有名な事例だと言ってさしつかえないだろう。現在のアメリカ合衆国領内に住んでいたアナサジ族とカホキア族。中央アメリカのマヤ文明の諸都市。南米のモチカ社会とティワナク社会。ヨーロッパのミュケナイ文明ギリシアとミノス文明クレタ。アフリカのグレートジンバブエ、アジアのアンコールワットとインダス文明ハラッパー諸都市。太平洋に浮かぶイースター島。
 これらの社会が遺した大規模な古蹟は、ロマンチックな力でわたしたちを魅了する。わたしたちは子どものころに、絵や写真で初めてそういう古蹟を見て、驚嘆の念を覚える。大人になると、多くの人間が休暇を利用して現地へ出向き、肌で古蹟を感じたいと願う。往々にして壮麗で忘れがたいその美しさが、そして湧きいずる謎の数々が、わたしたちの心を惹きつける。古蹟の大きさは、それを築いた者たちの富と権力を証し立てる──シェリーの言葉を借りるなら、「わが業を見よ、汝全能の神。しかしてうなだれよ!」とうそぶいているのだ。なのに、当の施主たちは、はなはだしい労苦の末に築いた偉大なる建造物を打ち捨て、時代の闇に消え去った。ひとたび栄華をきわめた社会が、どうやって崩壊の憂き目を見るに至ったのか? 個々の住民はどういう運命をたどったのか──よその地へ移ったのか、(だとすれば)それはなぜか、あるいは、当地で不本意な最期を迎えたのか? このロマンチックな謎の背後に、執念深い刺客のようなひとつの問いがひそんでいる。わたしたちの属するこの豊かな社会にも、いずれそういう運命が降りかかるのだろうか? 今日のわたしたちが鬱蒼たる樹林に覆われたマヤ文明諸都市の古蹟を眺めるように、いつか後世の旅人が、ニューヨークの摩天楼の朽ちゆく巨姿に見とれる日が来るのだろうか?


第16章 世界はひとつの干拓地ポルダー

 希望の根拠──慎重な楽観主義者として

 最後にもうひとつ、わたしの希望を支えるのは、これもまた現代世界のグローバル化による連結性の産物だ。過去の社会には考古学とテレビがなかった。十五世紀のイースター島民が人口過密の内陸部にある森を農地開墾のためにせっせと破壊していたころ、彼らは、何千マイルも東で、また西で、ノルウェー領グリーンランドとクメール人の王朝が衰退末期にあったことを、アナサジが数世紀前に崩壊したことを、さらにその数世紀前に古代マヤ社会が、その二千年前にギリシアのミケーネ文明が滅びたことを、知るすべもなかった。今日のわたしたちは、テレビや新聞で数時間前のソマリアやアフガニスタンでの出来事を知ることができる。ドキュメンタリー番組や書籍は、イースター島や古代マヤ、その他の過去の社会がなぜ崩壊したかをつぶさに見せてくれる。わたしたちには、遠くにいる人々や過去の人々の失敗から学ぶ機会があるのだ。過去のどの社会も、これほどの機会には恵まれていなかった。現代に生きる人たちがその機会を活かして、失敗しない道を選んでほしいというのがわたしの希望だった。



ジャレド・ダイアモンド
1937年ボストン生まれ。ハーバード大学で生物学、ケンブリッジ大学で生理学を修めるが、やがてその研究領域は進化生物学、生物地理学、鳥類学、人類生態学へと発展していく。前著『銃・病原菌・鉄(上)(下)』(倉骨彰訳、小社刊)はそれらの広範な知見を統合し、文明がなぜ多様かつ不均衡な発展を遂げたのかを解明して世界的なベストセラーとなった。カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部生理学教授を経て、現在は同校地理学教授。アメリカ科学アカデミー、アメリカ芸術科学アカデミー、アメリカ哲学協会の会員にも選ばれている。アメリカ国家科学賞、タイラー賞、コスモス国際賞など受賞は多く、『銃・病原菌・鉄』ではピュリッツァ−賞を受賞している。邦訳書は上記のほかに『セックスはなぜ楽しいか』(長谷川寿一訳、小社刊)『人間はどこまでチンパンジーか?』(長谷川真理子・長谷川寿一訳、新曜社刊)がある。

楡井浩一
翻訳家。主な訳書に、ビル・クリントン『マイライフ』朝日新聞社、リチャード・クラーク『爆弾証言』徳間書店、ルドルフ・ジュリアーニ『リーダーシップ』講談社、エリック・シュローサー『ファストフードが世界を食いつくす』『ファストフードと狂牛病』小社刊ほか多数。