草思社

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生命の【最後の輝き】を描く哀切と感動の物語 生き物の死にざま 生命の【最後の輝き】を描く哀切と感動の物語 生き物の死にざま

 命あるもの、みなが最後は死を迎えます。それは、小さな小さな生き物たちであっても同じです。本書は、昆虫、魚類、ほ乳類、微生物など、さまざまな生き物たちが「晩年」をどう過ごし、どのようにこの世を去るのかを、動植物の生態を描くエッセイに定評のある著者が叙情豊かに描いた本です。セミは力尽きるとなぜ地面に仰向けに転がるのか、その時彼らの目に映るものとは。室内に侵入してくる蚊はどんな思いでやってくるのか──
命の儚さと尊さを綴った本書。大人にもお子さんにも読んでいただきたい一冊です。

著者・稲垣栄洋さん、自著を語る

 夏の終わり、イヌと散歩に出かけると、無数のセミたちが道路にひっくり返っている。死んでいるのかと思って、つついてみると、翅(はね)をばたつかせた。
 まだ、生きているのだ。とはいえ、もうすぐ死ぬセミである。
 セミは背中側に目がついているので、空が見えているわけではないだろうが、何だか、空を見上げながら「死」を待っているような気がした。
 ふと「死」について考えた。
 イヌはどうだろう。
 イヌは人間の7倍の速さで年を取っていく。人間の1年は、イヌにとっては7年である。ものすごい勢いで、老いが訪れ、死が迫ってくる。
 それなのにイヌは年を取ることを嘆くことはない。ジタバタすることもない。ただ、毎日の散歩を楽しみとして「今」を生きている。毎日同じ繰り返しなのにいつも喜んでいる。それに比べて、私の人生は文句ばかりでそんなに楽しくない。
 私たちのまわりには、さまざまな生き物が暮らしている。そして、おびただしい数の生命が、毎日、死んでいる。
 「自分が死ぬ」ことは、大事件である。死ぬのが無性に怖くなってみたりもする。
 しかし、生き物たちはどうだろう。彼らは当たり前のように生命を謳歌し、当たり前のように、あっさりと命を閉じていく。
 生きることに悩んだり、生きることに苦しんでいる人間よりも、彼らの方が、ずっと生きていることの意味を知っている。そして与えられた生命を輝かせているのではないだろうか。
 そんな生き物たちがとても尊いものに思えて、ふと彼らの死にざまを描きたくなった。それが本書である。
(出所:2019年10月9日付『農業共済新聞』「自著を語る」より)

【タコ】の項より
生涯一度きりの交接と子への愛

 タコのお母さんというと、何ともユーモラスでひょうきんな感じがする。
 イメージとは、怖いものである。
 タコは、大きな頭に鉢巻をしているイメージがあるが、大きな頭に見えるものは、頭ではなく胴体である。
 映画「風の谷のナウシカ」に王蟲(おうむ)と呼ばれる奇妙な生き物が登場する。王蟲は体の前方に前に進むための脚があり、脚の付け根の近くに目のついた頭があり、その後ろに巨大な体がある。じつはタコも、この王蟲と同じ構造をしている。つまり、足の付け根に頭があり、その後ろに巨大な胴体があるのだ。ただし、タコは前に進むのではなく、後向きに泳いでいく。
 タコは無脊椎(むせきつい)動物の中では高い知能を持ち、子育てをする子煩悩(こぼんのう)な生物としても知られている。
 海に棲(す)む生き物の中では、子育てをする生物は少ない。
 食うか食われるかの弱肉強食の海の世界では、親が子どもを守ろうとしても、より強い生物に親子もろとも食べられてしまう。そのため、子育てをするよりも、卵を少しでも多く残す方がよいのである。
 魚の中には、生まれた卵や稚魚の世話をするものもいる。子育てをする魚類は、特に淡水魚や沿岸の浅い海に生息するものが多い。狭い水域では敵に遭遇する可能性が高いが、地形が複雑なので隠れる場所はたくさん見つかる。そのため、親が卵を守ることで、卵の生存率が高まるのである。一方、広大な海では、親の魚が隠れる場所は限られる。下手に隠れて敵に食べられてしまうよりも、大海に卵をばらまいた方がよいのだ。
 子育てをするということは、卵や子どもを守るだけの強さを持っているということなのである。
 また、魚類では、メスではなく、オスが子育てをする例の方が圧倒的に多い。
 オスが子育てをする理由は、明確ではない。ただし、魚にとっては卵の数が重要なので、メスは育児よりも、その分のエネルギーを使って少しでも卵の数を増やした方がよい。そのため、メスの代わりにオスが子育てをするとも推察されている。
 しかし、タコはメスが子育てをする。タコは母親が子育てをする海の中では珍しい生き物なのである。
 タコの寿命は明らかではないが、一年から数年生きると考えられている。そして、タコはその一生の最後に、一度だけ繁殖を行う。タコにとって、繁殖は生涯最後にして最大のイベントなのである。
 タコの繁殖はオスとメスとの出会いから始まる。
 タコのオスはドラマチックに甘いムードでメスに求愛する。しかし、複数のオスがメスに求愛してしまうこともある。そのときは、メスをめぐってオスたちは激しく戦う。
 オス同士の戦いは壮絶だ。何しろ繁殖は生涯で一度きりにして最後のイベントである。このときを逃せば、もう子孫を残すチャンスはない。激高したオスは、自らの身を隠すために目まぐるしく体色を変えながら、相手のオスにつかみかかる。足や胴体がちぎれてしまうほどの、まさに命を賭けた戦いである。
 この戦いに勝利したオスは、あらためてメスに求愛し、メスが受け入れるとカップルが成立するのである。そして相思相愛の二匹のタコは、抱擁し合い、生涯でたった一回の交接を行う。タコたちは、その時間を慈(いつく)しむかのように、その時間を惜しむかのように、ゆっくりとゆっくりと数時間をかけてその儀式を行う。そして、儀式が終わると間もなく、オスは力尽き生涯を閉じてゆく。交接が終わると命が終わるようにプログラムされているのである。
 残されたメスには大切な仕事が残っている。
 タコのメスは、岩の隙間などに卵を産みつける。
 他の海の生き物であれば、これですべてがおしまいである。しかし、タコのメスにとっては、これから壮絶な子育てが待っている。卵が無事にかえるまで、巣穴の中で卵を守り続けるのである。卵が孵化(ふか)するまでの期間は、マダコで一カ月。冷たい海に棲むミズダコでは、卵の発育が遅いため、その期間は六カ月から一〇カ月にも及ぶと言われている。
 これだけの長い間、メスは卵を守り続けるのである。まさに母の愛と言うべきなのだろうか。この間、メスは一切餌を獲ることもなく、片時も離れずに卵を抱き続けるのである。

 「少しくらい」とわずかな時間であれば巣穴を離れてもよさそうなものだが、タコの母親はそんなことはしない。危険にあふれた海の中では一瞬の油断も許されないのだ。
 もちろん、ただ、巣穴の中に留(とど)まるというだけではない。
 母ダコは、ときどき卵をなでては、卵についたゴミやカビを取り除き、水を吹きかけては卵のまわりの澱(よど)んだ水を新鮮な水に替える。こうして、卵に愛情を注ぎ続けるのである。
 餌を口にしない母ダコは、次第に体力が衰えてくるが、卵を狙う天敵は、常に母ダコの隙を狙っている。また、海の中で隠れ家になる岩場は貴重なので、隠れ家を求めて巣穴を奪おうとする不届き者もいる。中には、産卵のために他のタコが巣穴を乗っ取ろうとすることもある。
 そのたびに、母親は力を振り絞り、巣穴を守る。次第に衰え、力尽きかけようとも、卵に危機が迫れば、悠然(ゆうぜん)と立ち向かうのである。
 こうして、月日が過ぎてゆく。
 そして、ついにその日はやってくる。
 卵から小さなタコの赤ちゃんたちが生まれてくるのである。母ダコは、卵にやさしく水を吹きかけて、卵を破って子どもたちが外に出るのを助けるとも言われている。
 卵を守り続けたメスのタコにもう泳ぐ力は残っていない。足を動かす力さえもうない。子どもたちの孵化を見届けると、母ダコは安心したように横たわり、力尽きて死んでゆくのである。
 これが、母ダコの最期である。そしてこれが、母と子の別れの時なのである。

目次より

1 空が見えない最期──セミ
2 子に身を捧ぐ生涯──ハサミムシ
3 母なる川で循環していく命──サケ
4 子を想い命がけの侵入と脱出──アカイエカ
5 三億年命をつないできたつわもの──カゲロウ
6 メスに食われながらも交尾をやめないオス──カマキリ
7 交尾に明け暮れ、死す──アンテキヌス
8 メスに寄生し、放精後はメスに吸収されるオス──チョウチンアンコウ
9 生涯一度きりの交接と子への愛──タコ
10 無数の卵の死の上に在る生魚──マンボウ
11 生きていることが生きがい──クラゲ
12 海と陸の危険に満ちた一生──ウミガメ
13 深海のメスのカニはなぜ冷たい海に向かったか──イエティクラブ
14 太古より海底に降り注ぐプランクトンの遺骸──マリンスノー
15 餌にたどりつくまでの長く危険な道のり──アリ
16 卵を産めなくなった女王アリの最期──シロアリ
17 戦うために生まれてきた永遠の幼虫──兵隊アブラムシ
18 冬を前に現れ、冬とともに死す“雪虫”──ワタアブラムシ
19 老化しない奇妙な生き物──ハダカデバネズミ
20 花の蜜集めは晩年に課された危険な任務──ミツバチ
21 なぜ危険を顧みず道路を横切るのか──ヒキガエル
22 巣を出ることなく生涯を閉じるメス──ミノムシ(オオミノガ)
23 クモの巣に餌がかかるのをただただ待つ──ジョロウグモ
24 草食動物も肉食動物も最後は肉に──シマウマとライオン
25 出荷までの四、五〇日間──ニワトリ
26 実験室で閉じる生涯──ネズミ
27 ヒトを必要としたオオカミの子孫の今──イヌ
28 かつては神とされた獣たちの終焉──ニホンオオカミ
29 死を悼む動物なのか──ゾウ

著者紹介
稲垣 栄洋いながき・ひでひろ

1968年静岡県生まれ。静岡大学大学院農学研究科教授。農学博士。専門は雑草生態学。岡山大学大学院農学研究科修了後、農林水産省に入省、静岡県農林技術研究所上席研究員などを経て、現職。著書に、『生き物の死にざま』『生き物の死にざま はかない命の物語』『スイカのタネはなぜ散らばっているのか』『身近な雑草のゆかいな生き方』『身近な野菜のなるほど観察記』『蝶々はなぜ菜の葉にとまるのか』(いずれも草思社)、『身近な野の草 日本のこころ』(筑摩書房)、『弱者の戦略』(新潮社)、『徳川家の家紋はなぜ三つ葉葵なのか』(東洋経済新報社)、『世界史を大きく動かした植物』(PHP研究所)など。

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