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言語を、国境を、時代を超える作家の想像力の源泉に迫る。



『女帝 わが名は則天武后』出版記念講演
作家・山颯(シャン・サ)、自作を語る。
中国に生まれ、日本文学に傾倒し、フランス語で小説を書く作家、山颯。 新作『女帝 わが名は則天武后』刊行を機に来日した彼女が、東洋と西洋、過去と現在、歴史と今日とを往還する自らの文学世界を語った。
7世紀、唐朝初期のすべてを調べた

 みなさんこんばんは。みなさんとこの時を分かち合えることをうれしく思います。

 今回私は、小説『女帝 わが名は則天武后』のプロモーションのためにやってきました。私の4作目になるこの小説は、中国でもそして日本でもよく知られた唐代の皇帝、則天武后が主人公です。読まれた方は奇妙に思われたかもしれませんね。歴史上の人物を扱いながら、この作品は伝統的な歴史小説の形では書かれていませんから。

 もちろん書くにあたっては、調査に3年を費やしました。中国にも取材に出かけ、考古学者たちと意見を交換し、唐代に関する資料を読みあさりました。これは、単に則天武后の人生を調べるためではなく、唐代初期のすべてを知りたかったのです。衣服、髪型、遊戯、家具調度から化粧法まで、彼女を取り巻いていたすべてを。

 興味深いことはたくさんわかりました。たとえば当時、後宮の女性たちのあいだで付けぼくろが流行りました。なまめかしさを演出したのです。これはのちにヨーロッパの貴族の間でも流行しましたが、実は唐代に始まったことなのです。

 さて、のちに則天武后となる少女、照はこの唐代初期に生まれました。彼女の父親はもともと材木商人で、商才をいかして資材の調達に奔走し、唐朝創設に貢献した人物です。彼はその功績を認められて高官に出世し、非常に高貴な女性と結婚しました。この女性は隋朝の皇后につながる家柄の出で、彼女が武照の母親となります。つまり武照は古の貴族の血筋と、交渉力にたけた商人の気質とを併せもって生まれたわけです。

 最初に朗読する箇所は、幼い照が育った家庭の様子を描いています。この後、父親が死んで彼女は貧窮に転落しますが、その直前の幸せな雰囲気を感じて下さい。

    朗読1(『女帝 わが名は則天武后』9ー11頁)

 この後間もなく、父親は自分が仕えてきた皇帝の死の報にふれ、失意のうちに死にます。照と母親は、いま朗読したような華やかな生活から一転、落ちぶれてしまいます。しかし照は14歳で皇帝の後宮に入る幸運を得ます。

中国史上唯一の女帝の真価を見る

 後宮は一つの街のようなもので、そこに住む男性は皇帝一人、あとは1万人の女性と宦官だけ。到着したばかりの照はまだ希望を抱いていました。もしかしたら皇帝の寵愛が得られるかもしれない、と。その希望はすぐに潰えます。彼女は特別に美しいわけでもなく、宦官に贈り物ができるようなお金もなく、後宮の外に強力な後ろ盾もなかったのですから。

 しかしある日、彼女が皇帝の目にとまることになります。これは非常に有名な逸話で、中国ではよく知られた話ですから、ご紹介しましょう。

 ある時、皇帝が狩りに出かけ、宴会が催されました。そこへ西国から贈られた馬が一頭連れてこられます。たいへん気性が荒い馬で、皇帝は「誰か、飼い馴らしてみよ」と命じます。男たちが次々に挑みますが、だれも言うことを聞かせることができません。

 その時、たまたま皇帝のそばにいた照が進み出て、「陛下、私が馴らしてみせましょう」と申し出ました。皇帝は「女よ、並み居る武将たちにもできなかったのだ。おまえにどうしてできるのか」と尋ねます。「陛下、三つの道具をお与え下さい。鞭と槌と短剣です。まず鞭をふるいます。鞭で言うことを聞かなければ、槌で殴ります。槌で言うことを聞かなければ、短剣で喉を斬るしかありません」皇帝は、照の機知と激しい気性に感嘆し、秘書の一人として出仕するよう命じました。

 後代の歴史家は、この逸話を則天武后の残酷さを示す例としてひくのですが、私はそうは思いません。この時、照は16、17歳。彼女はこの頃から非常に決然と行動できる女性で、しかも男性が支配してきた地位を切り拓く才があった証と言えるのではないでしょうか。

 さて、太宗の秘書として参内するようになった照に惹かれたのは、皇帝の息子でした。彼は甘やかされて育った心の優しい青年でした。これから朗読するのは、のちに皇帝になったこの息子が愛の告白をする場面ですが、もちろんだれも皇帝の胸の内など知りようがありませんし、私が純粋に創作した箇所です。

  朗読2(146ー147頁)

 皇帝の息子にとって、愛という感情を知るのがどれほどむずかしいものであったか、わかってもらえるのではないでしょうか。幼い頃から女性や宦官にかしづかれ、打算、陰謀、裏切りを目の当たりにしてきた彼に、本当の感情を知る機会は少なかったのです。

 中国の王朝では、宦官や女性に皇帝が操られて滅びていく事例は多々あります。閉ざされた世界で育った皇帝はへつらう者を容易に信用してしまいますし、本当の意味で政治に興味を持つこともありませんでした。多くの皇帝たちは書や絵画を好み、女性たちと放蕩を繰り返したのです。

 照の夫である高宗にもそうした面はありましたが、高宗が治めた時代に唐が発展したのは、彼女のおかげです。照を信頼し、治世を任せたことで彼は例外的によい皇帝となることができたのです。

孤独と哀しみに満ちた武后の恋

 高宗は50代で亡くなってしまいます。未亡人となった則天武后はそのまま治世をつづけ、60歳になってもまだ元気でした。ある日、武后に長寿と健康をもたらす薬が贈られます。それは一人の青年でした。彼との間に愛が生まれようとは誰も想像していなかったでしょう。

 次に朗読する箇所は彼と武后との会話ですが、とても悲劇的な場面です。ここに武后の抱える孤独の深さが現れています。

   朗読3(302ー304頁)

 70歳になっても武后の統治は非常に強固でした。その頃、彼女は昌宗と易之という二人の若者と出会い、恋に落ちます。この恋もまた哀しい結末を迎えます。彼女の後継の座をうかがう息子や甥たちが、何とか愛人たちを排除しようとしていたからです。次に読む箇所は、武后の最後の恋が終わっていくシーンです。

   朗読4(354ー356頁)

 そしてこれが、則天武后の時代が終わっていく合図にもなります。

 以上の朗読で、本書のあらましについてはだいたいつかんでいただけたでしょう。それに、ここに描かれた則天武后像が、従来言われてきたような残虐で冷酷というイメージとずいぶん異なることもおわかりでしょう。



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