終刊によせて2
『間違いだらけのクルマ選び』の30年間
加瀬昌男(草思社会長)
最初の『間違いだらけのクルマ選び』が出たのが1976年の11月、それから30年が経ちました。一人の著者が、これだけの年月、同じテーマで毎年1冊、途中からは『外国車選び』が加わり、さらに車種がふえたことで、冬夏版と2冊を書くということをつづけたことは、極めてまれなことで、今後もこの記録は破られることはないのではないかと思います。これを偉業といわずしてなんといえばいいのでしょう。
私がはじめて徳大寺さん(当時はこの名前ではなく、本名の杉江博愛さんでしたが)に会ったのは、1976年の初夏だったと思います。草思社を退社してフリーの編集者として仕事をしていた三輪幸雄さんが、私がクルマ好きなことを知っていて、自動車評論家の杉江博愛さんをともなって当社を訪れました。杉江さんの書いた原稿を見てもらいたいというのです。
彼がいうには、批評が厳しすぎて、雑誌を出して自動車会社から広告料を受け取っている出版社では、とても出せないのだということでした。雑誌を出していない草思社なら、出版を引き受けてくれるかもしれない、ということで杉江さんを連れてきたのです。
私は原稿を預かることにしました。かねがね自動車批評の本が出せたらいいな、と思っていたからです。
一読賛嘆、それはまさに私が出したいと思っていた原稿そのものではありませんか。いやそれ以上のものでした。自動車産業にとっては劇薬とも言うべき、厳しい批評です。自社の出版物にクルマの広告を掲載しなければならない出版社には出せないという三輪さんの言葉が、たちどころに納得できました。
原稿は、ユーザーがクルマを買うときに必要な基礎知識、それからメーカー論と、国産車全車種と一部の外国車の批評からなっていました。基礎知識篇は次のようなテーマから成っていました。
「人気車種かならずしも良いクルマではない」「クルマは売っても(下取り)買っても損をする」「モデルチェンジ直後のクルマは買うな」「ライバル車に対抗するだけが目的の急造モデル」「クルマについてわかっていない自称カーマニア」「ワゴンこそ新時代のレジャーカーだ」「国産車の安全対策はどこまで信頼できるか」「サスペンションは全輪独立懸架がベスト」「安いクルマにもディスクブレーキは必要不可欠」「国産車にはマヤカシ的5スピードが多い」「オートマチックトランスミッションが本命」「大きなボディに小さなルームスペースじゃ困る」「メーカーの商策に踊らされるカーマニアたち」「1Lカーをつくらないメーカーの不誠実」
後に「全車種徹底批評」と名付けられるようになる各車種の批評には、次のような見出しがつけられることになります。
コロナ=平凡さがとりえだが、エンジンが弱いのが泣きどころ/カローラ=可もなく不可もないクルマの代表/セドリック=俗悪趣味の傑作車/バイオレット=こんなクルマでも買う人がいるから不思議/シビック=見せかけだけの新しさではすぐ飽きがくる/ファミリアプレスト=古くさいだけだ
その批評の鋭さは「歯に衣を着せぬ」といったようななまやさしいものではなく、メーカーの人間が読んだら怒髪天を衝くようなものでした。さらにそれは、メーカーだけの責任を追求しているのではなく、よくないクルマを選ぶユーザーの「常識」も批評していたのです。また、優れた批評にはしばしばユーモアが欠かせませんが、この原稿にはユーモアがちりばめられていました。
画期的に思えたのは、1Lカーを提唱していることでした。
性能、ハンドリング、乗り心地、居住性、ラゲージスペース、これらの難問に応えることは、現在の国産車ではまずできない相談。これら五つの要素を1L〜1・2Lカーで満足させるためには、一大革新的(冒険的)な思想とメカニズムが必要だ。生産性最優先の国産車には到底できっこないのだ。その代わりに日本のメーカーがやっていることと言えば、比較的大パワーのエンジンを付けて、性能をよくし、居住性や乗り心地の不満についてはアクセサリー群で矛先をかわしてしまうやり方だ。まさに小手先の芸当でなくてなんだろう。
この本がうまくいけば、ということは、売れれば、日本のクルマ社会に影響を与え、日本車の本当の意味での質的向上につながるだろうと思われました。それほどに、日本車の問題点を見事に指摘していたのです。私は本が世に出たときのことを思い浮かべ、ぞくぞくしました。
私は直ちに「出させてください」と杉江さんに返事をしました。
ところがそれからが大変です。全車種徹底批評のところにはクルマの写真が必要です。しかし、メーカーに貸してくれるよう頼むわけにはいきません。そこで思いついたのが、穂積和夫さんでした。穂積さんは東北大学建築科出身のイラストレーターで、ファッション画を得意とし、クルマを描かせたら右にでる者はいないというほどの人物です。
早速お願いしてみると「えっ、55車種も描くの?」と驚きましたが、それでも〆切に間に合わせてくれました。写真を凌ぐできです。さらに基礎知識篇にはマンガをつけてくれました。
このようにして読者の方がおなじみのスタイルができあがったのです。
あとはタイトルと著者名です。当然ペンネームを使って、著者の正体を隠さなければならないと思いました。大ベストセラーになれば別ですが、万が一、売行きが2、3万部で止まってしまった場合、雑誌を中心に仕事をしている杉江さんに仕事がこなくなることは目に見えています。そんな危険をおかすわけにはいきません。そこでみんなで考えた末にでてきたのが「徳大寺有恒」というペンネームでした。
タイトルは『間違いだらけのクルマ選び』と決めました。
初刷り1万2000部。配本になってすぐ銀座の大型書店に行ってみますと、店頭に平積みになっていません。一生懸命に探しましたが、なかなか見つかりません。「免許証のとり方」といった本が並んでいるところへいってみると、なんと10冊が棚に差してあるではありませんか。これはいけないと思い、早速お店の人に掛け合って、平台の前の方に積んでもらいました。前途多難でした。
しかし、1、2週間ほどすると注文が入ってくるようになりました。そして取引先の人から、飲み屋で『間違いだらけのクルマ選び』の話をしているグループがいたという話を聞くようになりました。
また、トヨタ自販の本社にいた私の友人から「加藤誠之副社長がこの本を50冊買って自工へもっていきなさい、と指示したよ」というニュースが飛び込んできました。批評された側にこのような人物がいることに私は敬服し、これなら日本の自動車産業に未来はあると思いました。
マスコミで最初に大きく報じてくれたのは報知新聞でした。次に朝日新聞の経済気象台に載り、週刊朝日がとりあげてくれました。
あとは一瀉千里で、ベストセラーに駆け上がりました。杉江さんにはまだまだ言い足りないことがあり、続編を出すことになりました。そのころになると、覆面作家・徳大寺有恒さんに原稿をお願いしたいという依頼も殺到し、もう仕事を干される心配もなくなりました。そこで、記者発表をやり、「徳大寺有恒」はベールを脱いだのです。
結局、『間違いだらけのクルマ選び』は正編と続編をあわせて合計120万部を売り上げ、二つあわせて1977年書籍ベストセラーの1位を獲得しました。間違いだらけ、という言葉もその年の流行語になるほどで、ひとつの社会現象を起こすまでになったのです。
そして、 翌年からは『間違いだらけ』は完全にシリーズ化し、今日までつづいてきました。
本をつくっていく過程でいつもわれわれが驚かされたのは、徳大寺さんのクルマについての教養の深さとクルマにたいする愛でした。徳大寺さんと話していると、何年にどの国の何という技術者がどのような技術を新しくつくりだし、それがどのような結果を産んだか、というようなことが次々とでてくるのです。また、日本の技術者はクルマの歴史を知らない、としばしば語っています。単に運転技術がうまいということではなくて、あの教養とクルマへの愛がクルマの評論に深みを与えてきたのだと思います。
さらに、文章のなかにそこここにちりばめられたユーモア、生活者としての視点が、『間違いだらけのクルマ選び』を魅力あるものにしてきたのだと思います。
それからもう一つ『間違いだらけのクルマ選び』が成功した理由に、徳大寺さんが収入のかなりの部分をクルマの購入に注ぎ込んできたことをあげるべきでしょう。それは放蕩と呼んでもいいほどのものでした。あるいは逆に生活を犠牲にし、貧乏に甘んじてクルマを買いつづけたという意味でストイックという言葉が当てはまるかもしれません。見ているほうがひやひやするほど思いっきりよく高価なクルマを買いつづけたのでした。もちろんそのなかには、新しいクルマが登場したとき、仕事のために買ったものも多くあります。たとえば、初代セルシオ、プリウス、ベンツCクラスはじめ、時代を画することになるクルマの一群です。
それからもう一つは趣味としてのクルマの購入です。もちろんこれは最高級のクルマを知るという意味で、仕事とも結びついていますが、やはり趣味のクルマと言った方が適切でしょう。ジャガー、フェラーリ、ベントレー、ロールスロイスからミニやシトロエン2CVまで、実にたくさんのクルマを買ってきたのです。
徳大寺さんと草思社は、批評を通じて日本車をよくするためにクルマの評論を出版するということで、このシリーズをはじめたわけですが、最近の日本車を見るにつけ、所期の目的はほぼ達せられたのではないかと思います。
最初の『間違いだらけ』で、徳大寺さんが1Lカーを提唱し、それに挑戦しようとしない国産車メーカーを批判したことは、前に書きました。これにたいする25年後の自動車産業からの回答とそれにたいする徳大寺さんの見解は、『最終版』の206ページ、ヴィッツの項目をご覧いただきたいと思います。
これはほんの一例で、『間違いだらけのクルマ選び』の総集編である、この『最終版』をお読みいただけば、徳大寺さんがいかに本質を見抜いていたか、おわかりいただけるのではないでしょうか。そしてこの総集編が立派な日本自動車史になっていることにも気づいていただけると思います。
もちろん評論だけで、日本車がよくなったわけではありませんが、しかし、自立した評論なくしてクルマの正しい方向への進歩もまたなかったのではないかと思います。シャイな徳大寺さんは、自分の口から自分の評論が日本の自動車産業に与えた影響について、決して語ることはないのですが。
クルマ選びの本を書くにはクルマに試乗しなければなりません。これがまた大変でした。私も徳大寺さんが試乗するクルマに何度か乗せてもらいましたが、それは想像を遙かに越えるものでした。厳しいコーナリング、フルブレーキ、急発進、手に汗を握る瞬間がつづくのです。クルマの限界性能を探るということがいかに大変なことなのか、身をもって知りました。これはまさしくクルマとの格闘だと思いました。
プロとはいえ、よく事故らないものだと思ったこともしばしばでした。〆切が迫るなか、乗り残したクルマに集中的に乗っていただかなくてはなりません。体調のよくないときなどずいぶん無理をお願いする場面もでてきました。
そこに刊行30年がやってきました。30年は一世代です。これを区切りとして私たちはシリーズとしての『間違いだらけのクルマ選び』を終刊にする決意をしました。いま、私たちは何かをなし終えたという充足感とともに、一抹のさびしさを感じています。
『間違いだらけのクルマ選び』が30年つづいたことで、出版社としてまず感謝しなければならないのは、もちろん著者である徳大寺さんにたいしてですが、それとともに、イラストを書き続けてくれた穂積和夫さん、さらに読者の方々に深く御礼申し上げたいと思います。シリーズとして本の刊行を持続するには、多くの読者の支持がなければ絶対に不可能なのです。売れなければそれで終わりとなるからです。「この本を読んで○○車を買ったけど本当によかった」という読者からのお手紙によって私たちはどれだけ励まされたことでしょう。
『間違いだらけ』が終わっても、徳大寺さんの自動車評論はつづいていきます。引きつづき、徳大寺さんの活動にご声援いただければ幸いです。
30年間、本当にありがとうございました。
|
1976年刊行の『間違いだらけのクルマ選び』と77年刊行の『続・間違いだらけのクルマ選び』。2冊あわせて120万部を売り上げ、77年の書籍ベストセラー1位となった。 |
| [1] [2] |