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ワシントンハイツの中の野球場から生まれたジャニーズ『新宿・渋谷・原宿 盛り場の歴史散歩地図』赤岩州五 著

 2020年の東京オリンピックを控えて、会場の建設がようやく進みつつある。選手村の建設は東京湾の晴海あたりに高層ビルとして作られるようだが、かつて前回の1964年オリンピック時には今の代々木公園が選手村としてあてられていた。ここは戦前には代々木練兵場で軍の施設だったが、戦後は占領軍の家族等の住宅地になり、日本人オフリミットの場所だった。ワシントンハイツという名で戦後ずっと、オリンピック直前の1961年ぐらいまで接収されていた。学校、プール、ゴルフ練習場、野球場、ホールなどを備えた豊かで洗練された別天地であり、厳重な警戒で守られていた。

 このワシントンハイツの野球場で許されて野球をやっていた渋谷周辺の少年野球チームが「ジャニーズ」である。アメリカ大使館に勤める軍属のジャニー喜多川が小中学生たちを集めて野球をやっていたのである。朝鮮戦争でも通訳官をやっていたというジャニー喜多川(日本名喜多川擴)が米軍との関係を利用して野球場を使わせてもらっていたのである。ちなみにジャニーという呼び名は本来ならジョニーであるが、アメリカ訛り風に読むとジャニーである。当時『大砂塵』(原題ジャニーギター)という映画がペギー・リーの歌とともにヒットしたが、歌のタイトルも映画も「ジャニーギター」と呼ばれていた。「ジャニー」のほうがかっこいい呼び方だったのだ。

 少年野球チームの監督という立場が曲者で、そこから発展して今の芸能事務所「ジャニーズ」が生まれ、現在一大隆盛を極めている。1963年公開の映画『ウエストサイド物語』を少年たちと見に行ったことがきっかけで、初代ジャニーズ「あおい輝彦、飯野おさみ、真家ひろみ、中谷良」が誕生した。最後の中谷良がのちに『ジャニーズの逆襲』というジャニー喜多川氏の性癖をあばいた暴露本を出した人である。

 本書113ページの元ワシントンハイツに接した坂上の角地にあったレストランナカタニと喫茶中谷が中谷良の実家ではないかと著者は推測しているが本当だろうか。

 このレストランはしゃれた造りで、当時まだ閑散としていたこの通りは自動車も止めやすく、のちの自動車評論家徳大寺有恒氏はこのあたりに車を止めて、レストランナカタニで食事をすることが多かったと語っている。

 1950年代後半から1960年代前半の渋谷のはずれの風景である。

 本書は戦後の東京の発展史を語る上で欠かせない各種視点を見せてくれるとても刺激的な地図帳である。

(担当/木谷)

赤岩州五(あかいわ・しゅうご)

昭和23年(1948)、長崎県に生まれ、金沢に育つ。同志社大学卒業。卒業後は上京してずっと東京に住む。雑誌「トランヴェール」、地図雑誌「ラパン」の編集長を務める。編集プロダクション「アイランズ2」を主宰。地図関連の著書として「アイランズ2」名義で『東京の戦前 昔恋しい散歩地図1・2』『考える力がつく子ども地図帳 日本・世界』(以上草思社)、個人名義で『東京懐かし散歩』(交通新聞社)『銀座 歴史散歩地図』(草思社)など、ほかに『藩と県』(共著、草思社)『ことわざ生活 あっち篇・こっち篇』(ヨシタケシンスケと共著、草思社)など多数。

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