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「救われていく道」はどこにあるのか? 浄土真宗の根本思想がわかる味わい深い物語!

仏教小説 王舎城の悲劇
――物語で読む浄土真宗
向谷 匡史 著

 本書のタイトルになっている「王舎城の悲劇」とは、〝父王殺し〟という大罪を犯した古代インドの大国マガダ国皇太子アジャセ(阿闍世)が、釈迦によって救われていくという物語です。この物語は浄土真宗・浄土宗の根本経典とされる「浄土三部経」の一つ「観無量寿経」などの中で語られていて、その解釈めぐってはさまざまな著作や論考が出ています。

 本書はこの古代インドで起こったとされる大事件の顛末を通して仏教の考え方を学ぶ《公開講座》を舞台に、老僧侶と受講生たちがおりなす物語です。「王舎城の悲劇」という物語から、今を生きる私たちは何を学べるのか。最後にお釈迦さまが登場して、「ありがたい話」をして一件落着というのではなく、現代人の感覚で納得のいかない点については、受講生と講師(老僧侶)のざっくばらんな質疑応答の形でさまざまに深掘りしています。

 物語の大事な場面に登場するお釈迦さまの言行には、現代の私たちの感覚からすると腑に落ちないものが多々あります。それに、いったいどのような意味があるのか。受講生たちは自身の問題意識をもとに遠慮なく講師に疑問を投げかけていくのですが、そこでのやりとりから仏教の基本的な考え方や、浄土真宗の「救い」の在り方がおのずと浮かび上がってくるのです。「救い」についての詳細はぜひ本書をお読みいただきたいのですが、あえてまとめるとすれば、私たちが抱える「苦しみ」の本質は「身の回りの『誰か』や『自分の人生』を思いどおりにしたい」という我執にあるのだと気づくこと、つまり「苦しみの原因は自分にあったのだ」という気づきを得ること、それが最初の一歩ということになります。

 仏教に関心がある読者はもとより、出口の見えない閉塞感を抱えて生きるすべての方に読みいただきたい一冊です。

(担当/碇)

【目次】

 第一回講義

 仏教はなにを説いているのか
 《四門出遊》の伝説
 「悩み」と「悩みの犯人捜し」

 第二回講義

 お経の役割
 生まれるまえから恨みをもつ者
 さとりを開いた釈迦が説法を躊躇した理由
 《因縁生起》を考える

 第三回講義

 反省するのも「欲」
 「物語におけるリアリティ」とはなにか
 ダイバダッタの野望
 親の愛情と親のエゴ

 第四回講義

 投獄された父王
 釈迦の沈黙
 アジャセが激怒した真因
 無限に連鎖する「因」と「果」
 なぜ人は裏切られて怒るのか

 第五回講義

 幽閉されたイダイケ
 無言の説法
 釈迦が説いた《三福》
 救いの光明が射す瞬間

 第六回講義

 自己都合で生きてきた自分
 いまここで救われていく道がある
 「自分の欲」が生みだした苦しみ
 「信じること」の難しさ
 「悪いのはわたし」という出発点

著者紹介

向谷匡史(むかいだに・ただし)
1950年、広島県出身。拓殖大学卒業。週刊誌記者などを経て作家。浄土真宗本願寺派僧侶。保護司。日本空手道「昇空館」館長。人間社会を鋭くとらえた観察眼と切れ味のよい語り口に定評がある。著書として『親鸞がヤクザ事務所に乗り込んで「悪人正機」を説いたら』(ベストセラーズ)『任侠駆け込み寺』(祥伝社)『親鸞の言葉――明日を生きる勇気』(河出書房新社)『定年後、ゼロから始めて僧侶になる方法』(飛鳥新社)『浄土真宗ではなぜ「清めの塩」を出さないのか』『名僧たちは自らの死をどう受け入れたのか』(以上、青春出版社)『心の清浄をとりもどす名僧の一喝』(すばる舎)『成功する人だけが知っている「一万円」の使い方』『もし、お釈迦さまに人生の悩みを相談したら』(以上、草思社)などがある。
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