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1回の公演で集めた投げ銭の最高額は78万円!閉塞感に風穴をあける自由で柔軟な人生行路。

ギリヤーク尼ヶ崎という生き方
――91歳の大道芸人
後藤豪 著

 ギリヤーク尼ヶ崎さんは、1930(昭和5)年生まれの大道芸人です。日本が高度経済成長に沸いていた1968(昭和43)年にはじめて路上に立ち、以来今日まで国内外の街頭で踊り続けてきました。赤ふんどしにじゅばん、破れ笠という独特ないでたちがトレードマークで、体を地面に叩きつけ、時には池に跳び込んで情念をぶつける踊りは、かつて「鬼の踊り」と評されたこともあります。

 そのキャリアの後半、阪神大震災をきっかけに自身の踊りのテーマを「祈り」に変容させた後は、ニューヨークのグラウンド・ゼロや東日本大震災の被災地でも踊りを披露し、さまざまなメディアで取り上げられています。コロナ禍が始まる以前、ギリヤークさんの街頭公演には多くの老若男女が集まり、大盛況でした。1回の公演で集めた投げ銭の最高額はなんと78万円だそうです。

 エキセントリックともいえる芸風で人目を集める大道芸人でありながら、誰に対してもフレンドリーで朗らかなギリヤークさん。この本の著者はそんなギリヤークさんに魅せられて、10年以上にわたって取材してきた新聞記者です。昭和、平成、令和とつねに「新たなファン」が生まれ続けているギリヤークさんですが、その不思議な魅力の根源には、誰に対しても壁を作らずありのままの自分をさらけだす人となりがあるのはまちがいないでしょう。

 そんなギリヤークさんが路上で踊り始めたのは、じつは38歳のときでした。多くの日本人が50代で定年を迎えていた時代ですから、ずいぶんと遅いデビューです。「もう〇歳だから××しなくては」といった感覚に縛られないから、91歳の今日まで現役を続けられたのかもしれません。また、必要があれば遠慮せずまわりに助力を求める、というのもギリヤークさんの流儀です。まったく面識のない平山郁夫氏に手紙を出して、平山氏の助力で中国公演を実現させるなど、驚くような結果がそこから生まれることもたびたびありました。

 詳しくは本書をお読みいただきたいのですが、ギリヤークさんは自由な生き方の代償として生活の不安定さともつねに向き合ってきました。ですが、浮き沈みの日々を振り返るギリヤークさんの口調はどことなく楽しげで、生きることの歓びがにじみ出ています。誰もがギリヤークさんのように生きられるわけではありませんが、本人の飾らない言葉をもとにその人生行路をたどっていくと、気持ちの良い風に吹かれているような涼やかな気持ちになるのはたしかです。閉塞感あふれる日々に風穴をあけてくれる味わい深い一冊です。

(担当/碇)

【目次】
第1章 90代

公園の地べたに座り、化粧をはじめた老人
「尼ヶ崎勝美」から「ギリヤーク尼ヶ崎」へ
「日本に生まれ、ここにいます」
「定番エピソード」をめぐるミステリー
「91歳という年齢が怖いですね」
「惚れっぽかった。そこのところ、話しておくよ」
「もう少し真剣に楽しく、精一杯生きてみようかな」 「でも僕、弱ってきているね」
新型コロナのワクチン接種「痛くない」
「僕なんか、一つの娯楽ですよね」
「過去の元気なときの場所や芸を思い出すんです」

第2章 誇りと後悔

「芸人」「夢」「念力」を語る
故郷で91歳初の公演に臨む
理想と現実、悔恨と感謝のはざまで
「父親のことも同じくらい思っている」
「数寄屋橋公園もすっかり年をとったね」
「門真国際映画祭」授賞式
2週間の入院

第3章 紆余曲折

祖母に連れられて映画館通い
「予科練」に憧れた軍国少年
旧制中学を5年で中退
月2万円の仕送り
険しかった映画俳優への道

第4章 追いつめられて

舞踊家失格
倒産、大火、身内の死
我流で「星空と自分が一つになる」呼吸法を習得
30歳で再上京
突破口を探して
「いろいろ考えたけど、いっさい全部ダメだった」

第5章 世界の街頭で

銀座・数寄屋橋公園で街頭デビュー
新宿・伊勢丹前の歩行者天国で警察に連行
最高の場所だった渋谷ハチ公前
「母さんにとっては、ちり紙も投げ銭の一部だった」
革命記念日のパリで踊る――初の海外公演
「ニューヨークは自由だった」――初の渡米
渡航費用をだましとられる
赤いサポーター誕生秘話――半月板手術
「僕に役者の才能はなかった」――伊丹映画に出演
自費ではるばるアマゾンへ
母・静枝さんとの別れ
「ギリヤーク族に似てますね」――サハリン公演
チャールズ・チャップリンの息吹――英国公演
「このころがいちばん、貯金があったのかな」――ロシア公演

第6章 祈りの踊り

血を流しながらの舞踊――阪神大震災
「大東亜戦争で亡くなったすべての人のために」――中国公演
1回の公演で78万円の投げ銭が入った
「寂しい目つきの人が多かった」――世紀末のドイツで
「祈り続ける」ということ――米国同時多発テロと東日本大震災
「本当は、踊りなんかできる状態じゃないの」
86歳にして新しいスタイルを導
「『身体維持費』がものすごくかかるんですよ」
「最後に残る演目は何だろうか」

著者紹介

後藤豪(ごとう・つよし)
1981年東京都生まれ。2005年毎日新聞社入社。青森支局、大阪社会部、東京社会部などを経て、18年10月から東京経済部。生損保や証券、IT業界などを担当し、菅義偉政権(20年9月〜21年10月)の時は、デジタル庁創設への動きを追った。今回が初の単著となる。
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