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なぜ芭蕉はこの男を随行させたのか?

曾良の正体
――『奥の細道』の真実
乾佐知子 著

日本最高の古典『奥の細道』の旅は、決して芭蕉一人の力で成し得たものではない。芭蕉に影のように付き添い、ある時は道案内の先導役を務め、ある時は旅の資金のやりくりに頭を痛め、宿の手配に奔走するといった仕事をやり遂げた河合曾良がいた。
彼が腰に下げていた小さな腰帳は、その日の天気や距離、人物などが詳細に記帳されており、その事務能力の高さに後世の人々は度肝を抜かれた。
みちのく出発直前に忽然と現れ、予定されていた路通に替わり、随行者に抜擢された曾良とはいったい何者か。
江戸時代中期は幕藩体制が整い、武家諸法度の強化された時代だ。商家の長男として生まれたにもかかわらず、曾良は次々と養子に出され、成人となるや伊勢長島の大智院で過ごしていたが、やがて久松松平家の家臣となる。商家の子供が武士になるなど当時は絶対にあり得ないことであった。
曾良第一の謎ともいえる武士誕生の陰には、幕府をも黙らせる大きな力が働いていたと考えるのが妥当であるだろう。ではその大きな力とは何か。
本書は、曾良の生涯を「家康の六男・松平忠輝の落し子」説に沿って辿ることで、旅の出立をはじめ、仙台藩での湯ざまし事件、村上に滞在した三日間など、これまで謎とされてきた旅の真相を解き明かす。
『奥の細道』読解の参考としてはもちろん、曾良や芭蕉が実人生での体験をいかに作品化したかを理解する一助として、広く俳句に興味のある読者に一読いただきたい一冊。

(担当/渡邉)

【目次】

第一章 曾良の実像

曾良の生い立ち/曾良の名前/家康の六男、松平忠輝/松平忠輝の落し子としての曾良/伊勢長島、大智院での曾良/伊勢長島藩主、松平良尚/曾良と俳句との出合い/江戸へ出た曾良/曾良と吉川惟足

第二章 曾良と芭蕉の出会い

芭蕉と藤堂藩/芭蕉と曾良はいつ出会ったか/藤堂家の血筋を引く芭蕉/甲州谷村での出会い/曾良が谷村を訪れた理由/谷村以降の曾良/松平忠輝の死

第三章 『奥の細道』旅の目的

江戸に戻った芭蕉/『野ざらし紀行』、蛙合、『鹿島紀行』/路通から曾良へ/『奥の細道』旅の準備/旅の経費はいくら掛かったか/旅の資金はどこから出たのか/水戸光圀と松平良尚/綱吉と光圀との微妙な関係/松平定重と芭蕉/情報収集としての旅/『奥の細道』旅の真の目的/関係諸藩と伊奈家との関わり

第四章 『奥の細道』旅の真実

『奥の細道』出立の謎/小菅の伊奈郡代屋敷/清水寺から預かった書状/杉風の訪問/日光大楽院の客/白河の関、須賀川、福島、仙台/松島、瑞巌寺/湯ざまし事件/伊達騒動とは/『奥の細道』における奥州平泉/出羽越え、尿前の関/尾花沢、立石寺、出羽三山/象潟と「みのの国の商人 低耳」/越後路、村上滞在の真相/村上での歓待の理由/絶海の孤島、佐渡/佐渡と大久保長安/金沢から山中温泉へ/山中温泉から敦賀、色の浜へ/水戸藩と大垣藩に守られた旅/芭蕉、大智院を訪ねる/別行動をとった曾良

第五章 『奥の細道』以降の曾良と芭蕉

江戸に戻った曾良/近畿地方を巡った曾良/晩年の芭蕉/『奥の細道』の成立/芭蕉の臨終/芭蕉没後の曾良/曾良が墓参できなかった理由

第六章 曾良の晩年

諏訪帰郷と芭蕉墓参/長島松平家断絶/六代将軍徳川家宣/幕府巡見使の御用人として九州へ/曾良が御用人になれた理由/壱岐へ/対馬藩とは/曾良の終焉/密命を帯びた曾良/対馬を巡った曾良/本土生存説/河西浄西に学んだ生き方/榛名山に消えた仙人/故郷に集う「あぢさゐ忌」

著者紹介

乾佐知子(いぬい・さちこ)
1942年、神奈川県生まれ。日本大学文理学部国史科卒業。政治経済史学会で学ぶ。俳句結社「春耕」同人。俳人協会会員。著書に『句集 藻の花』がある。
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