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なぜ1970年を境にゴダールはつまらなくなったのか。
本書は2022年9月に91歳で自死したジャン=リュック・ゴダール監督について書かれた山田宏一氏の映画評論集であり、氏のゴダール論の集大成である。と言っても書かれているのは1960年代のゴダールのみ。『勝手にしやがれ』(1959年)から『ウイークエンド』(1967年)までの15本の長編と9本の短編、いわゆるポーリン・ケイル女史の言う「豊穣の60年代ゴダール」についてだけである。さらに若干の追悼文が収められている(「キネマ旬報」と「ユリイカ」への寄稿文)のみ。なぜそうなっているのだろうか。
山田宏一氏は処女評論集『映画について私が知っている二、三の事柄』(1971年、三一書房)の第一章「ゴダールについて私が知っている二、三の事柄」から評論活動を始めているように稀代のゴダール・ファンであった(この書のタイトル自体がゴダール映画『彼女について私が知っている二、三の事柄』のもじり)。
追悼文の中で山田宏一氏はゴダールこそ映画表現の革新を促した一人であり、真の革新性を持った映画監督であったと述べている。ゴダールの「ジャンプ・カット」はグリフィスの「クローズ・アップ」、エイゼンシュテインの「モンタージュ」、オーソン・ウエルズの「パン・フォーカス」と並ぶ映画表現の4大革命だと述べたあと、ゴダールに夢中になったパリ留学の日々を懐かしんでいる。
それが1968年パリの五月革命以後のゴダール作品についてはあえて触れていない。『勝手にしやがれ』が世界の若者と映画人に与えた大きな影響、山田氏のパリ滞在時代(1964年から1967年)に夢中になったアンナ・カリーナを主演にする一連のゴダール映画、それが急速に政治化し、高邁になり、抽象化し、輝きを失ってしまったことへの落胆がこの背景にはある。本書の巻末には盟友フランソワ・トリュフォーがパリ五月革命以降にゴダールに出した訣別状(手紙)を収めているが、そのトリュフォーのゴダールへの詰り方に山田宏一氏の思いが仮託されているというのはうがちすぎの見方であろうか。
トリュフォーはゴダールの女性関係と金に汚いこと、自分が権力化したことに気づかない鈍感さなどを悲痛に訴え、弱いものに味方しないことへの裏切りを攻撃する。映画監督ジャン=ピエール・メルヴィルはヌーヴェル・ヴァーグとは「ゴダール・スタイル」のことだと喝破したが、その見方は一面正しいものの、トリュフォーと彼の仲間たちの支えがあってこその成果であり、独善的になった70年代以降のゴダールははるか高みに駆け上がり、一部信者だけの存在になってしまった。それにつれて神(GОD、ゴダールのもじり)格化されたゴダール作品は、映画が大衆娯楽的な要素を不可欠とし、彼もその映画ファン的世界から出てきただけに、それを捨ててしまえば表現がやせ細り、トリュフォーと決別するのも当然と言えば当然のことであった。世界中のインテリ映画ファンにはったり的手法でなぞかけをし、最後は孤立の中で自死を遂げたゴダール。「あとがき」の中で、著者は監督ベルナルト・ベルトルッチの言葉を引用している。「1960年代のゴダールは現実と直接、生に結びついていました。しかし、その後彼はある種の謙虚さを失ってしまったように思われるのです。…世界の涙にひたることもなく、世界の笑いにも参加することのないダイヤモンド、無色透明で自己完結し…美の宇宙の内部だけで生まれ、生きて、死んでいくように思われるのです…」。著者は追悼文の末尾で「さらばゴダール、さらば映画」と叫んでいます。こんなに豊かだった私のゴダールはどこへ行ったのかという悲痛な叫びでもあり、20世紀のある種の映画への惜別でもあるのでしょう。
(担当/木谷)