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文藝春秋が刊行していたオピニオン誌『諸君!』(1969年創刊、2009年休刊)の元・編集長による一読驚嘆の回想

『諸君!』のための弁明
ーー僕が文藝春秋でしたこと、考えたこと
仙頭寿顕 著
「『諸君!』のための弁明」書影

 本書は文藝春秋で長年『諸君!』の編集にたずさわり、編集長時代には同誌の最大部数を達成した著者による回顧録です。松下政経塾の塾生だった1983年に「塾外研修」として『諸君!』編集部で働きはじめ、社員として文藝春秋に正式入社後も『諸君!』を中心にキャリアを重ねてやがて編集長に就任……という著者は、ある意味で「ミスター諸君」ともいうべき人物です(そのように評した執筆者がいたという逸話もあります)。

 本書では、昭和・平成の論壇史を彩ってきた個性あふれる執筆者たちとの蔵出しエピソードはもちろんのこと、文藝春秋という会社のカルチャーや、その変容についてもきわめて率直に記されています。

 1969年に創刊され、その後休刊になる2009年まで、その際立った批評精神と闘争心で多くの読者を惹きつけてきた雑誌『諸君!』について、著者はライバル誌を引き合いに出して《『諸君!』は『正論』でも『新潮45』でもないけど『自由』ではあるかも》とユニークな定義づけをしています。

 雑誌『自由』は『諸君!』の創刊時にモデルにされたともいわれる雑誌で、その名の通り真の意味でのリベラルな精神を宿した媒体でした。現在のようにネットがなかった時代に、新聞・テレビといった大メディアがつくりだす有無を言わせぬ空気に対して物申すことができた数少ない媒体が『自由』であり、『諸君!』でした。その「異議申し立て」の具体的な事例についてはぜひ本書をお読みいただきたいと思いますが、『諸君!』が朝日新聞を筆頭とする主流メディアに対して戦闘的でありつづけたのは、それらのメディアが旧ソ連邦や、北朝鮮、共産中国といった個人の自由を抑圧する全体主義国家のプロパガンダに加担する報道を繰り返していたからにほかなりません。

 《大新聞などが、戦前の軍部のようにみずからへの批判を許さない「検閲機関」のように居丈高になっていたときに、週刊誌や月刊誌が細々と異論を提示したからこそ、日本の言論の自由は守られてきた》と著者は書いています。その「反・大勢」の旗手であったはずの雑誌ジャーナリズム、あるいは文春ジャーナリズムがすっかり変質してしまったのではないか、というのが本書に通底する危機意識です。いままさに存亡の危機にある雑誌メディアを考える上でも、本書は必読の一冊といえます。

(担当/碇)

著者紹介

仙頭寿顕(せんとう・としあき)
1959年(昭和34年)、高知県安芸市生まれ。中央大学法学部政治学科卒業後、1982年に松下政経塾に入塾(第三期生)。その後、1984年7月に株式会社文藝春秋に入社。『諸君!』編集長、出版局編集委員などを歴任。2016年9月に文藝春秋を退職し、ワック株式会社に移る。現在、「歴史通」および書籍編集長。松下政経塾塾友・塾員。文藝春秋社友。いくつかのペンネームによる執筆活動・著作がある。「江本陽彦」名義で雑誌『自由』に1986年4月号より「読書日記・私のための読書遍歴」を長期連載。その一部を志摩永寿名義で『本の饗宴・新保守の読書術』(徳間書店)として刊行。そのほかにも、里縞政彦名義で『20世紀の嘘:書評で綴る新しい時代史』(自由社)、城島了名義で『オーウェル讃歌:「一九八四年への旅路』『歪曲されるオーウェル:「一九八四年」は何を訴えたのか』『オーウェルと中村菊男:共産主義と闘った民主社会主義者』(いずれも自由社)などを著している。読書ブログでは政治から風俗モノまでの書評コラムをほぼ毎日連載・更新中。
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