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松竹娯楽映画の王道を歩んだ監督の一代記、創作の秘密。

増補新版 映画の匠 野村芳太郎
野村芳太郎 著 小林淳/田中ひろこ 編 野村芳樹 監修
増補新版 映画の匠 野村芳太郎

 野村芳太郎は松竹の映画監督で、生涯88本の作品を残した。『砂の器』『張込み』『拝啓天皇陛下様』『五辨の椿』『事件』『疑惑』『震える舌』など多くの話題作・ヒット作がある。ミステリーや犯罪映画から、コメディ、時代劇、青春もの、歌謡映画まで、多くはいわゆる娯楽作品である。

 この本はその松竹娯楽映画の伝統を背負った職人監督の、映画作りにかけた人生を自身の言葉(インタビュー、日記・メモ類、エッセイ)や関係者証言(岩下志麻、大竹しのぶほか)など多くの資料をもとに描き、創作の秘密を解き明かしたものである。2020年に最初の版が出て、その年のキネマ旬報「映画本大賞」に選ばれた良書であるが、今回松竹の「野村芳太郎 再発見再評価」プロジェクトに合わせて、新資料を増補し、決定版として刊行した。

 カバーは『拝啓天皇陛下様』の渥美清の大きな顔写真である。この作品は野村監督も自身の代表作の一つと言っている作品だが、山田洋次監督の『男はつらいよ』の原型になったとも言われ、本書の序文に山田監督は「わが師、野村芳太郎」という跋文を寄せている。いまや日本映画の代表ともいうべき山田洋次監督の兄貴分というか、まさに師匠的存在である。

 また『張込み』『東京湾』『ゼロの焦点』『影の車』『砂の器』など松本清張原作、橋本忍脚本、川又昂撮影(一部違う)のドキュメンタリー・タッチのミステリー映画も記憶に残る。松本清張とは霧プロダクションという制作会社を作っていたし、橋本忍とは氏の監督作『幻の湖』(怪作!)を手伝うまでの仲である。

 今回補足した資料では①日大芸術学部で行った野村監督へのロングインタビューの抜粋を掲載した。ここで氏は生い立ちを詳細に語っているが、ここは日本映画史の裏面を知る上でも興味深い話題が満載である。祖父は二代目野村芳國という京都の芝居絵師。リュミエール商会が日本に初めてシネマトグラフを持ち込んで、神戸・大阪・京都あたりで上映活動を行ったときに協力したという。父は戦前の松竹の大監督で蒲田撮影所長でもあった野村芳亭(小津安二郎や清水宏などの上司)。芝居絵師の修行から興行の手伝いなどを経て、松竹が映画に進出したもっとも初期から製作にかかわりサイレント時代に多くのヒット作を作った。一人息子の芳太郎は蒲田撮影所内の芳亭の家で育ったいわば生粋の映画っこ。②として従軍経験を生々しく語っているインタビューを入れた。氏は最も過酷と言われたビルマのインパール撤退作戦に従軍し「白骨街道」を生き延びた。その体験をもとに映画化の企画を温めていたが実現せず、テレビドキュメンタリーとなった。この体験は氏の作品作りに大きな影響を与えていないか。

 この本は文字通り松竹映画とともに生まれて生きた一職人監督の誠実な映画作りを作品ごとに記録した(松竹や野村家より借用の写真類、詳細なフィルモグラフィー、年譜など)労作であり、読みごたえがであり映画史、昭和史の資料としても貴重な一冊である。

(担当/木谷)

著者紹介

野村芳太郎(のむら・よしたろう)
映画監督。1919年、東京市浅草区生まれ。祖父は絵師の二代目・野村芳圀、父は映画監督で戦前の松竹の大監督、野村芳亭。蒲田撮影所内で育つ。1936年、暁星中学校、1941年、慶應義塾大学文学部芸術学科卒業。同年、松竹大船撮影所に入所。42年、召集され入営。インパール作戦などに参加。終戦後復職、黒澤明、川島雄三らの助監督を経て、1952年のSP作品『鳩』で監督昇進が決定し、1953年、第一回作品『次男坊』から以後1985年『危険な女たち』まで、生涯88本の映画作品を発表し続けた。代表作に『砂の器』『張込み』『事件』などがある。1985年、紫綬褒章、1995年、勲四等旭日小綬章受章。2005年4月8日、歿(享年85)。
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